覚醒よりも大切なこと——“わからなさ”の中にある自由
「もっと真理を知りたい」
「意識を高めたい」
「覚醒したい」
そんな思いで、学び、探求してきた日々がありました。
たくさんの本を読み、セッションを受け、高次元の情報に触れ、
「これが答えかもしれない」と心が震える瞬間も、何度もありました。
でも、あるとき、ふと気づいたのです。
本当に大切なのは、“何かをわかること”ではなかったのかもしれないと。
■ 小さな世界の中で「これがすべて」と思い込んでいた
思い返せば、以前の私はある人との関係を「人生で最も大切なつながり」だと思っていました。
出会いの意味、感情のやりとり、沈黙にすら深いメッセージを感じて、
それが“運命”であり“魂の約束”だとすら思っていたのです。
でも、時間とともに、少しずつ自分の内側の感覚が変わっていきました。
何かが解けて、視野が広がっていく中で、ふとこう感じたのです。
——あれは、私の内側の“制限された世界”の中での出来事だったのかもしれない、と。
かつては「これ以上のものはない」と思っていた感情も関係性も、
俯瞰してみると、なんだかとても狭い枠の中にいたように思えてきました。
そして自然と、あれほど手放したくなかったものが、
するりと静かに離れていったのです。
怒りも、未練も、整理も必要ありませんでした。
ただ、「もう終わっていた」と気づいただけでした。
■ 覚醒しても、チャネリングしても…わかるのは“ほんの一部”
同じ頃、もうひとつの大きな気づきがやってきました。
——私たちは、どこまでいっても**「何もわかっていない」**ということ。
どれだけ覚醒しても、チャネリングで高次元とつながっても、
受け取れる情報は全体の“ほんのかけら”にすぎません。
科学が観測できる範囲が限られているように、
スピリチュアルな領域も、結局は「認識可能な枠の中」で語っているにすぎないのです。
かつて、ある有名なチャネラーが語る「宇宙の真理」に感動していた自分がいました。
けれど今、その情報も「一つの視点」でしかなかったと、はっきりとわかります。
それは間違いではない。
でも、“全体ではない”ということを知る視点が、より自由なのだと気づいたのです。
■ わからないからこそ、共鳴は尊い
この“わからなさ”を前提に生きるようになると、人との関わりも変わりました。
カウンセラーとしても、
「理解しよう」と無理に深読みすることがなくなりました。
むしろ、「わからないまま、ただそばにいる」ということのほうが、
ずっと深い安心感とつながりを生むのだと感じるようになりました。
たった一言の共鳴。
言葉にならない沈黙の中の温度。
それだけで、すべてが伝わることもある。
それは、「わかっているふり」を超えて、
ただ“今ここに共に在る”という、もっと本質的な在り方なのかもしれません。
■ 「私すらいない」という静かな気づき
「一人一宇宙」とよく言われます。
でも、その先にはもっと静かな感覚があります。
——そもそも、“私すら存在していなかった”という気づきです。
私も、あなたも、誰かも。
それはすべて映像のようなもの。
ただ情報空間の投影として現れているだけなのだとしたら、
そこには重さも執着も必要ないのです。
そう思うようになってから、心はとても静かになりました。
そして、心の奥から自然とこう思えました。
「ありがとう。そして、本当にさようなら」
感情的な別れではなく、
とても静かな感謝とともに、次の扉が開いていくような感覚でした。
■ もっと深い至福、もっと自由な世界
今はただ、こう思っています。
——もっと深い自由がある。
——もっと広い至福がある。
——そして、私たちはもっと軽やかに生きていい。
わからないまま生きていい。
理解しきれないままでいていい。
それでも、人生はちゃんと美しく成り立っていくのです。
「覚醒」はゴールではなく、
むしろそこから始まる“本当の自由への入り口”なのかもしれません。
——“わからなさ”の中に、最も静かで深い自由がある。
今の私は、そう感じています。