セッションで、
最後によく行き着く話があります。

それは。

「この現実って、
本当に実体があるんでしょうか?」

という話です。

スピリチュアルでは、

この世界は幻想、
ホログラム、
夢、
投影、

そんな表現がよく使われます。

でも。

ここで多くの人が混乱します。

「幻想なら、
この苦しみも嘘なの?」

「体も存在しないの?」

「じゃあ人生って何?」

と。

でも、
実際に体験している側からすると。

悲しいものは悲しい。

痛いものは痛い。

愛する人との別れは苦しい。

つまり。

“幻想”と言われても、
リアルに感じていることは事実なんです。

ここを、
極端に誤解すると。

「全部幻だからどうでもいい」

になってしまう。

でも、
本当にそうでしょうか。

たとえば映画館。

スクリーンには、
光が投影されているだけです。

実体はない。

でも。

観ている側は泣く。

笑う。

怖くなる。

感動する。

つまり。

“実体がない”ことと、
“体験がない”ことは、
まったく別なんです。

セッションでも、
よくお話しするのですが。

この世界は、
固定された物質世界というより。

情報や認識が、
ホログラムのように立ち上がっている世界に近い。

そして。

「自分だ」と思っているこの体も。

絶対的な実体ではなく。

意識の中に映し出されている、
一つのキャラクターのようなものかもしれない。

でも。

だからこそ逆に。

今ここで感じること。

笑うこと。

愛すること。

触れ合うこと。

景色を眺めること。

風を感じること。

そういう体験には、
とても深い意味がある。

幻想だから無意味なのではなく。

むしろ。

限りある夢のような体験だからこそ、
愛おしいのかもしれません。

そしてもう一つ、
大きな誤解があります。

それは。

「自分が現実をコントロールしている」

という感覚。

でも、
本当によく観察すると。

思考も。

感情も。

出会いも。

気づきも。

勝手に起きている。

次に何を考えるかすら、
本当は“自分”で決めていない。

すると。

「主体としての私」は、
本当にいるのか?

という問いに行き着きます。

それでも。

朝になれば目が覚め。

お腹が空き。

人を好きになり。

涙も流れる。

つまり。

主体はいない。

実体もない。

でも、
体験だけは、
確かに起きている。

この矛盾のような世界を、
重く考えすぎず。

少し肩の力を抜いて眺められるようになると。

人生は、
敵ではなく。

ただの壮大な体験だったのかもしれない。

そんなふうに感じ始める人が、
最近とても増えています。

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