夏の風物詩が苦手だったりする。
私はスイカが苦手である。別に農家にケンカ売ってるとか、バカにしてるとか、はたまたアレルギーとかではなく、ただ単純に苦手なだけだ。特に味が苦手なので、もう本当に食いたくない。もちろん銃を突きつけられて「食え」と言われたら食う。そんなレベルの嫌いなのだが。それでも苦手は苦手なので、できるなら口に入れたくないんだけれども……夏はどこかでスイカが出てくる機会がものすごく多い。例えば祖父母の家に行ったときなんか百パー出てくる。友達の家でも出てくる。誰かとバーベキューをすれば、誰かが持ってきている。何処に行ってもつきまとってくるのだ。しかも、周りはみんなそれにテンションを上げる。美味しそうに、涼しそうにスイカを食している。私はそれを眺めながら「アツアツのおしるこ出された方がまだマシだったな」などと心の中でつぶやくのだ。そして、出来るなら手を付けない。が、そういうわけにもいかない場もある。そういう時は食う。覚悟を決めて食う。味もへったくれもなく、種をどうしたらいいかもわからず、どこまで食えば良いかもわからず、ただ無心で喰う。「塩かける?」なんて質問にも首をかしげてしまう。甘さが引き立つ。と言う方もいるが、そもそも味が苦手なので今さら甘さが引き立とうとも意味がない。全ての味を無にする。というのなら喜んで塩をかけたであろう。しかし、たかが塩(こう言ったら塩に失礼だが)にそんな効力もないので「いらない」と一言告げて、また無心になる。先にスイカ苦手なんですよと言えばいいとも思うのだが、これがまた言いづらい。「夏はスイカでしょ!」という概念がはびこって久しく、また文化にも強く根付いているので、それを批判するような行為はほとんど「ありえない」のだ。なので、スイカがキライなどと告げようものなら「え!?」と目を丸くされてしまう。折角用意したのに……、じゃあ何をお出しすればいいのかしら……、と余計な気をつかわせてしまったり。こちらの心が苦しくなってしまう。故にスイカは今でも苦手だ。扱いが難しすぎる。どうすればいいのか今でも正解がわからない。好きになれたら苦労しない。しかし、どうしても苦手なのだ。人間、そんなに好き嫌いを自由に出来たらそんなに恋愛に苦労しないだろう。嫌い。という言葉をなるべく使わないようにする気持ちだけでも評価してほしい。どうにもならないのだ。夏の風物詩。この言葉は好きなのだが、中には苦手なものもいくつかある。それが残念で仕方がない。なんでも楽しめる自分になりたい。きっと死ぬまでそう思っているだろう。だって、どうにもならないんだから。また、かき氷についても思うことがあるのだが、それはまたの機会に。と、久々に意見書き連ねる系のブログでした!!ではでは、熱中症に気をつけて!!チョーキング!!!