姥捨て山 | 「真面目にふざけて、ふざけて真面目に』 真面目なゆうき先生の妄想シリーズ紹介

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 ひらかわ ゆうき の電子書籍の自信作『妄想総理シリーズ もしも〇〇が総理になったら』の紹介ページ

子どもの頃に聞いた話で、印象に残っているものがあります。
本を読んでもらったのか、話を聞かされたのか、もう記憶ははっきりしていません。
覚えているのは、「男が年老いた母親を背負って山に捨てに行った。その山を姥捨て山と言う」ということ。

男が涙を流しながら山道を登り、母親が一人では帰って来られないところまで行って、置き去りにして帰るという。
その光景のイメージが頭の中に残っているから、絵本だったのかもしれません。
その話を聞いた時は、子ども心にもとても残酷な話だと思ったし、なぜ親を捨てるかまったく理解できませんでした。

でも、先日秋川リサさんが、母親の認知症のことを告白されている記事を読んで、この姥捨て山のことがふと思い出されました。

秋川さんのお母さんの症状はとてもひどくて、夜中も家を飛び出す、家の中で新聞紙に火をつけたとか、トイレ以外の場所で粗相し家の中は汚物とアルコールの臭いがしたとか、本当に壮絶です。

一口に認知症と言っても、症状は人によってさまざま。
何もわからなくなって、ボーとおとなしくしているなら、家族も面倒を看ることは可能でしょう。
でも、そんな扱いやすい認知症の方が少ないのかもと思います。

徘徊はもちろん、怒鳴りまくる、所構わず排泄する、人を泥棒呼ばわりする、人の前で服を脱ぎ始める、私が実際に見たり聞いたりした話です。

昔も認知症は当然あったでしょう。
突然自分の母親がわけのわからないことを言い出したり、しだしたりして、 やがて手に負えなくなる・・・
老人ホームなどない時代。

姥捨て山と呼ばれる山があった。
泣きながら親を捨てに行った男の話が、子どもの頃とまったく違ったものになり、身につまされます。


私の母も認知症で、養護老人ホームに入っていますが、もう私のこともわかりません。
父が生きている頃には、父と私が楽しげに話しているとやきもちを焼いて、私を睨んでいました。
母に会いに行く回数はすっかり減ってしまい、母への愛情が薄れていくのを、後ろめたく寂しく感じる今日この頃です。


『グローバル社会に生きる子どものための-6歳までに身に付けさせたい-しつけと習慣』
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