スッチーだった頃 1 | 「真面目にふざけて、ふざけて真面目に』 真面目なゆうき先生の妄想シリーズ紹介

「真面目にふざけて、ふざけて真面目に』 真面目なゆうき先生の妄想シリーズ紹介

 ひらかわ ゆうき の電子書籍の自信作『妄想総理シリーズ もしも〇〇が総理になったら』の紹介ページ

JAL
先日妹が遊びに来て、久しぶりに昔のアルバムを取りだしました。
私が一番最初に就いた仕事、日本航空のスチュワーデス時代のアルバム。
もうすっかり色あせている写真。そして、写真と同じように
私の記憶も色あせてきています。
そこで、まだ覚えているうちに思い出を書き記しておこうかなと・・・
しばらく自分史が続きますが、よかったらおつきあいください。


1.ウェイトつけた訓練中

遠い昔(になってしまいました・・・トホホ)マザーユウキはスッチーだったのです。
マザーユウキが入社したのは、日本航空にジャンボジェット機が導入されて、
JALパックという海外旅行のパックツアーが出た頃でした。 
海外旅行が私達庶民の手に届くものになり始めた、言わば日本の高度成長期、
今思えば一番いい時代だったかもしれません。

今はキャビンアテンダント(CA)と言うようですけど、森英恵さんデザインの
超ミニスカートの制服の頃は、スチュワーデスと呼ばれていました。 
そうそう「アテンション・プリーズ」というテレビドラマで、
紀比呂子さん(こんな字だったかしら?)や氾文雀さんが来ていた制服です。 
若い人たちはきっと知らないわねえ。

関西人のマザーユウキは、半年間の訓練中蒲田の寮に住んでいました。
「アテンション・プリーズ」や「スチュワーデス物語」でも登場していた、
あのらせん階段のある寮です。 
と言っても分からない人の方が多いでしょうね。今もあるのかしら?

昔はスチュワーデスの訓練期間が半年もあったのですから、なんとも優雅な時代でした。
「訓練は厳しい」とよく聞かされていましたが、根が楽天家のマザーユウキには、
毎日蒲田の寮から羽田の訓練所に通う生活は、まるで学生時代に戻ったような
楽しいものでした。 

最近になって、久々に羽田空港に行くことがあって懐かしくて、
かつてのオペレーションセンターを探してみましたが、羽田もすっかり様変わり。
空港の派出所で、一番年配そうなお巡りさんにも聞いてみましたが、
もう40年以上昔ですものねえ。
方向すら分かりませんでした。

で、訓練中は規則正しい生活に加えて、寮の食事もとてもおいしかったものですから、
なんとマザーユウキは、厳しいと言われた訓練中に4kgも太ってしまったのです。