
先日妹が遊びに来て、久しぶりに昔のアルバムを取りだしました。
私が一番最初に就いた仕事、日本航空のスチュワーデス時代のアルバム。
もうすっかり色あせている写真。そして、写真と同じように
私の記憶も色あせてきています。
そこで、まだ覚えているうちに思い出を書き記しておこうかなと・・・
しばらく自分史が続きますが、よかったらおつきあいください。
1.ウェイトつけた訓練中
遠い昔(になってしまいました・・・トホホ)マザーユウキはスッチーだったのです。
マザーユウキが入社したのは、日本航空にジャンボジェット機が導入されて、
JALパックという海外旅行のパックツアーが出た頃でした。
海外旅行が私達庶民の手に届くものになり始めた、言わば日本の高度成長期、
今思えば一番いい時代だったかもしれません。
今はキャビンアテンダント(CA)と言うようですけど、森英恵さんデザインの
超ミニスカートの制服の頃は、スチュワーデスと呼ばれていました。
そうそう「アテンション・プリーズ」というテレビドラマで、
紀比呂子さん(こんな字だったかしら?)や氾文雀さんが来ていた制服です。
若い人たちはきっと知らないわねえ。
関西人のマザーユウキは、半年間の訓練中蒲田の寮に住んでいました。
「アテンション・プリーズ」や「スチュワーデス物語」でも登場していた、
あのらせん階段のある寮です。
と言っても分からない人の方が多いでしょうね。今もあるのかしら?
昔はスチュワーデスの訓練期間が半年もあったのですから、なんとも優雅な時代でした。
「訓練は厳しい」とよく聞かされていましたが、根が楽天家のマザーユウキには、
毎日蒲田の寮から羽田の訓練所に通う生活は、まるで学生時代に戻ったような
楽しいものでした。
最近になって、久々に羽田空港に行くことがあって懐かしくて、
かつてのオペレーションセンターを探してみましたが、羽田もすっかり様変わり。
空港の派出所で、一番年配そうなお巡りさんにも聞いてみましたが、
もう40年以上昔ですものねえ。
方向すら分かりませんでした。
で、訓練中は規則正しい生活に加えて、寮の食事もとてもおいしかったものですから、
なんとマザーユウキは、厳しいと言われた訓練中に4kgも太ってしまったのです。