11.覚悟
マザーユウキが入社した頃の日本航空は、世界一安全な航空会社と言われていました。
外国のエアラインでは、飛行機事故が時々起こっていましたが、日本航空は、
自主運行を開始してから一度も事故を起こしていなかったからです。
それでも、飛行機事故は起こるとまず全員死亡するものだと思われていましたから、
スチュワーデスになると決めた時には、それなりの覚悟もしました。
脱出シュートを滑り降りる訓練で、マザーユウキは教官から
「お客様を助ければいいんだから、スチュワーデスは滑れなくていいよ」
と慰め?られましたが、実際、
「事故が起これば、お客様を助けて私は飛行機と共に死のう」なんて考えていました。
でも、そんな悲劇のスチュワーデス、実は脱出シュートが怖くて滑れなかったのだと
同期にバラされて、美談どころか笑い話になったりして・・・
なんて一人でオチを考えて笑っていましたけど。
訓練の時のあの恐怖の脱出シュート、マザーユウキもあの後ちゃんと滑りましたよ、
念のため。
当時から、確率的には飛行機は自動車より安全とか言われていましたが、
やはりフライトに出る時には、二度と戻れないかもしれないと
いつも考えて出かけていました。
もし、マザーユウキが飛行機事故に遭ったら、東京のアパートに
両親が荷物の整理にやってくる。
その時、「娘はこんなだらしない生活をしていたのか・・・」
なんて親を悲しませることがないようにと、部屋はきちんと片づけて
掃除をして出かけていました。
今でもその習性は残っています。
まだ20代前半でしたけど、頭の中のどこかでいつも死を覚悟していた。
大袈裟なようですけど、マザーユウキにとって、
スチュワーデスとはそんな仕事だったのです。