スッチーだった頃 18 | 「真面目にふざけて、ふざけて真面目に』 真面目なゆうき先生の妄想シリーズ紹介

「真面目にふざけて、ふざけて真面目に』 真面目なゆうき先生の妄想シリーズ紹介

 ひらかわ ゆうき の電子書籍の自信作『妄想総理シリーズ もしも〇〇が総理になったら』の紹介ページ

18.安全神話が崩れた日

忘れもしません。
1972年6月、アムステルダムのホテルに滞在中、
チーフパーサーから緊急招集がかかりました。

そんなことは滅多にありませんから、嫌な予感。
夜でしたから、みんな部屋にいて、すぐに全員が
チーフパーサーの部屋に集まりました。

そこで聞かされたのは

「日航機が事故を起こしたらしい」

というものでした。
みんなに緊張が走り、部屋の空気がピンと張りつめたのがわかりました。
「今のところわかっているのは、ニューデリーでの事故ということ」

恐らく、この時、世界中にいた日航の社員は、
同じ気持ちを味わったことでしょう。
世界一安全と言われた、日本航空の安全神話が崩れた日でした。

マザーユウキ達も、緊張と不安を抱えアムステルダムから帰国。
フィックスクルーの先輩スチュワーデスMさん、Tさんと
同期Fさんと一緒に、合同の告別式に参列しました。

「こんなの二度と嫌だね」
と先輩達と話しながら別れました。
3カ月間のフィックスが終了し、この先輩達とまた一緒に
フライトできる日を楽しみにしていました。


それから5カ月経った11月のこと。
メキシコのホテルで、またパーサーからの緊急招集。
ドキドキしながら、暗いホテルの一室で、聞かされたのはモスクワでの事故。

「わかっているのは、クルーの中にDさん、Sさん、そして
Tさんと言う名前の人がいるらしい」

DさんもSさんもマザーユウキには心当たりがありませんでした。
でも、Tさんは・・・
その時は下の名前も分からず、男性か女性かもわかりませんでしたので、
ただただあのTさんではありませんようにと祈るしかありませんでした。


日本に帰国後、新聞で知った事故の詳細。
Tさんは、ジャンボのフィックスクルーとして3カ月間一緒にフライトした
あの先輩スチュワーデス。
アムステルダムやハンブルグで一緒に遊んだ先輩。ひょうきんで楽しくやさしい先輩。

Tさんは一人っ子。しかもTさんの乗務した便が、日本に到着するはずだった日は、
Tさんのお誕生日でした。
マザーユウキのアルバムに残るTさんの笑顔。
若くしてあの世へ行ってしまったTさん。


飛行機事故は何故か続くのです。

漠然とした覚悟が、現実のものとして、マザーユウキに迫ってきた出来事でした。