スッチーだった頃 20 | 「真面目にふざけて、ふざけて真面目に』 真面目なゆうき先生の妄想シリーズ紹介

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20.さらば日航

スチュワーデスになると決めて、短大に進んだマザーユウキは、
20歳で家を出て日本航空に入社しました。
日本航空の入社試験は、三次試験までありましたが、思い返せば、
合格通知はなんと電報でした。

一次試験に合格すると、電報で二次試験の日程を知らせてきました。
二次試験で合格すると三次試験の日程が。
そして、「まだか、まだか」とドキドキしながら待った三次試験の結果。
飛びあがって喜んだことを思い出します。

当時クルーは東京に住むことが条件でしたから、最初に書いたように
とりあえず蒲田の寮に入ったのです。
東京へ行く時、泣きじゃくっていた妹の姿は、今でも目に浮かびます。
マザーユウキも、飛行機事故に遭うなんてことがなくても、
もう家に帰ることはないだろう。
巣立ちする鳥のように、後戻りできない広い世界に飛び出していく気分でした。

そんなマザーユウキですが、事故やハイジャックが続き、さらに、マザーユウキが
どんどん痩せていったことで両親を心配させていることを、もはや無視することは
できなくなっていました。

図太い神経で、訓練中に4kgも太ったマザーユウキですが、
飛び始めてから2年足らずで、8kgも痩せてしまったのです。
機内では食べてすぐ動くことになりますし、不規則な生活や時差などが結構堪えます。
身体が丈夫で体力的にこの仕事が合えば、ずっと続けていたいと思える仕事でしたが、
もともとバスに乗ってもすぐに酔っていたほど、乗物に弱かったマザーユウキ。
体重が10kg減った時、退職を決意しました。


日本航空で、社会人としてのしっかりした基礎を築いてもらえたこと、
そして若くして世界を飛び回るという、普通ではできない経験をさせてもらったこと。
日本航空を離れても、この経験をぜひ活かしたいという強い思いを抱きながら、
最後のフライトを終えました。

思い返してもマザーユウキの日本航空での思い出は、楽しいことばかりでした。
ただ一つ、モスクワでの事故を除いては・・・