なぜ、お母さん達は子どもを叱らなくなったのか? | 「真面目にふざけて、ふざけて真面目に』 真面目なゆうき先生の妄想シリーズ紹介

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 ひらかわ ゆうき の電子書籍の自信作『妄想総理シリーズ もしも〇〇が総理になったら』の紹介ページ

忘れもしません1989年、私の英会話教室に、体験にやってきた親子がいました。
4歳の男の子とお母さん。
商業ビルを借りて開校していたその教室は、入るとまず受付カウンターのあるロビーと、
教室が2つありました。
まだ、最初のレッスンが始まる前で、その親子が一番乗りでした。
入って来た途端、その4歳の男の子は、可愛い飾りや教材用のおもちゃの置いてある
教室に突進、靴のまま上がり込んで、置いてあったフルーツのおもちゃを
放り投げ始めました。

私は、お母さんが慌てて注意するものと、お母さんの方を見ました。
するとそのお母さんは、ニコニコ笑いながら、その子のすることを
見ているではありませんか。
教室に靴のまま上がっていいのか(ダメです)、
おもちゃを勝手に触っていいのか(ダメです)、
と確認することもなく、こう言いました。
「うちの子は自由にのびのび育てているんです」
その時の衝撃を未だに忘れません。

1980年代、アメリカから入ってきた教育法、「子どもは自由にのびのび育てよう」
私は1951年生まれで、アメリカが夢だった時代に育ちました。
プールのある大きな家、バカでかいオープンカー、強くたくましいお父さんと
優しくきれいなお母さん。カッコいいボーイフレンド。
まだまだ戦後の貧しさの中にいた日本人には、全てが夢のようでした。

当時放送されていた「うちのパパは世界一」「カレン」「パティ・デュークショー」
なんていうアメリカのホームドラマを、食いいるように見ていたものです。
そんな私でも、この教育法が、あたかも画期的で素晴らしい教育法であるかのように
日本に紹介された時、強い危機感を抱きました。
なぜなら、日本とアメリカでは文化的な土壌がまったく違うからです。

アメリカではしつけは親の役目です。学校はしつけには一切口を出しません。
というより多民族国家のアメリカでは、民族も宗教も習慣も違いますから、
学校の先生はしつけに口を出せません。
その代わり、子どもに問題があるとすぐに親が呼び出されて注意されます。
アメリカは個人主義の国、基本的には自分の力、自分の実力で
生きていかなければなりません。
社会のルールやマナーを知らないというような社会性の欠如は、
社会からはみ出してしまう恐れもあります。

ですから、家で親がとても厳しくしつけていたのです。
当時いた外国人講師からも、「しょっちゅう父親にお尻をベルトで叩かれた」
なんて話も聞きました。
そんな親の厳しさからか、当時「自分に自信が持てない子が多い」ということが
問題になり始めていたのです。
そこで登場したのが、「子どもを自由にのびのび育てよう」という提唱でした。
アメリカでこういう教育法が提唱されたのには理由があったのです。
もっとも、私は今のアメリカの荒廃は、この教育法が、親にとって都合のいい
放任主義を生み出した結果だと思っているのですけど。

当時は英語ブーム、アメリカに憧れていた日本のお母さん達の中にも、
この教育法に飛びついてしまった人がたくさんいたのです。
だって、放っておいていいって言われたようなものですから、
親としてはこんな楽なことはありません。

かくして、まったくしつけされずに育った子ども達が増え、やがてその子達が
親になっているのが今の時代です。
自分がしつけされずに育った親は、当然自分の子どもにも
何を教えていいのかわかりません。
頼りになるはずのおじいちゃんおばあちゃんが、放任主義の張本人ですから、
こちらも全く当てにできません。

こうして、第2世代の子どもを叱れないお母さん達は、ただ今第3世代の
子どもを叱れない親予備軍を育てているというわけです。
きちんとしつけがされている子と、そうでない子の差が、広がるばかり。
どこかで、この連鎖を断ち切れないものでしょうか?

というわけで、今しつけに関する本を執筆中です。
阪神淡路大震災や東日本大震災の時に世界を驚かせた、
高い倫理観や道徳心を持った日本人。
思いやり深く、細かい気配りができる日本人。
いつまでも世界に誇れる日本人でありたい。
そのためには幼児期の教育が何よりも大切だと思っています。

頑張って書きます。