21.終わりに
マザーユウキが飛んでいた1970年代は、飛行機の墜落事故とハイジャックという
航空史上最悪の出来事と、大型機がどんどん導入されJALパックなど海外旅行が
身近なものになった、航空史上もっとも華やかな出来事が交錯する不思議な、
そしてある意味激動の時代だったと言えるでしょう。
私の人生の中で、日本航空という日本のトップクラスの企業に入社できたことは、
その後の人生を大きく左右する出来事でした。
今は事情が許さないでしょうが、当時半年もの訓練期間を与えてもらえたことに、
今でもとても感謝しています。
その後経営者になったマザーユウキは、それがいかにありがたいことか
痛感することになりましたから。
私が、どこへ行っても、どんな場所でも、どんな相手とも物おじせずに振る舞えるのは、
日本航空で、社会人としてのしっかりとした基礎を作ってもらったからです。
今でも日本航空OGとしての誇りを持っています。
やがて、英語による幼児教育という今の仕事に行きつくまで、まだまだ紆余曲折が
ありますが、この時の経験がきっかけになっていると言っても過言ではありません。
半官半民でスタートした日本航空は、その後厳しい道をたどることになります。
日本航空だけではなくて、当時世界最大の航空会社だったパンナム
(パンアメリカン航空)も消滅してしまいました。
まさしく栄枯盛衰、時代は変わりました。
でも、マザーユウキの中の日本航空は、今でも鶴丸が燦然と輝く航空会社なのです。
日本航空時代のことをこんなに詳しく書いたのは初めてでしたが、書いているうちに、
引き出しの奥の方に引っ込んでいた記憶がどんどん顔を出し、
私自身懐かしく思い出に浸りながらペンを進めることができました。
個人的な古い経験談をお読みいただいてありがとうございました。