常に隣に誰かいて欲しい。

誰でもいいわけじゃないんだ。

ただそこにいてくれるだけでも構わない。

どうしてか誰もいないと寂しくなって、

何かに縋り付くようにまた誰かを探してる。

相変わらずそんな有り余る日々にうんざりすることもあれば、

続けばいいなと思うこともある。

  お前はほんとにいいやつだな。

そんなことを言われるけれど、

結局は頼れる人、

寄りかかれる人を探してるだけなのかもしれない。

でもみんなそうでしょ?

誰かのためにと思ってやっていることも、

いつしか自分のためにやっていたことに気がつくこともしばしば。

そりゃ誰かのためにずっと動いていたら自分が壊れるからね。

誰かに甘えていたいってスタンスで日々過ごしているからだめなんだよな。

そんなこと不可能に近いのに。

昨日、

解釈と理解のすれ違いで決裂しそうになって、

それを話すことができなくて、

どうにか"いつも通り"を取り繕って接して、

何事もなかったように今朝を迎えた。

顔を見合わせるとそこにはいつも通りの彼らがいて安堵した。

その帰り道に誤解をとき、

語弊を正すことでどうにか元のように修復することができた。

人は些細なことで関係が途切れ、

自分では気づかないうちに誰かに嫌われてしまう。

実はもう嫌われているのかと不安になって、

いつまで経ってもそれに気づけなくて、

また寂しくなって、

いつしか自分が誰かを嫌っている。

そんなことなら、

はなから出会わなければいいのに。

言い過ぎかもしれないけど、

それほどまでに尊くかけがえのないものであってほしい。

話は変わるが、

人と付き合うってなんなんだろう。

誰かを好きでいることは素敵なことで、

これ以上ない程に人間らしいものである。

ただ、

付き合うって言葉は簡単に出てくるけれど、

何をしたら付き合うなのだろう。

これまでとなんら変わり映えのない生活の中で、

付き合ったもの同士だけが得られるものがあるのだろうか。

ふとわからなくなる。

別に相手を特別に思うなら勝手に優先したらいい。

特別に思われたいというのは、

単なるエゴに過ぎないのではないだろうか。

恋人だからといって、

できることが増えるのだろうか。

もちろん、

恋人同士だからこそ性行為を行うことができる。

なんて言われればそうかもしれない。

ただ、

それが目的になってしまっては恋人ではなくないか?

僕はただ言葉が欲しい。

言葉と行動で愛情を知りたい。

ここでの行動というのは性行為などではなくて、

時間の共有であったり、

趣味思考の共有を指す。

とはいえ、

僕自身がそれができないこともある。

これだってエゴに過ぎない。

いつまで経っても僕はしてもらう側なのだろうか。

僕は誰かに何かを与えることができているのだろうか。



恋人だから愛情を伝えるではなくて、

大切な人だから愛情を伝えるようなものであってほしい。

それが友人だろうが恋人だろうが。

とはいえ、

友人の延長線上に恋人がいるとも思わない。

どこかしら交わる部分はあるけれど決して等しいともいえない。

今日はこのくらいにしておこう。

まだ上手くまとめられる気がしない。

今思うことをただつらつらと並べただけの拙いものになったから、

この辺についてはまたいつか機会があれば。