少し前に、ノンフィクション本の登場人物になった方と話す機会があった。
事前に本を読み、登場人物一人ひとりについて良くも悪くも色々な感想を抱いた。
同時に、登場人物としてはどういう感想を抱くのかも興味がわいてきた。
もし自分が何かの本の一部に登場することになったとしたら、それがどんな描かれ方をしたとしても素直に受け入れられない気がしたから。
飲み会の帰り際にようやく少し話すチャンスを得たので、率直に聞いて見た時ハッとさせられた。
「どんな描かれ方をしていたとしても、それが真実なんだ」と。
言葉の詳細は覚えていませんが、そんなニュアンスの答え。
特に残念なトーンでもなく、割り切ったトーンでもなく
「他者の評価は自分でコントロールすることはできないんだ」と。
他者評価も含めそれが自分だと受け入れている、大きな心の持ち主だと感銘を受けると
同時に、他者と自己の間の評価でじたばたしている自分自身が見えた。
じたばたは見苦しい。
たまに自叙伝のような本を書く人がいるが、なかには他者評価を覆すために、
「本当の自分はこうだ(だからこんな結果に至っても仕方がなかった)」という
公的な言い訳にしかみえない本を書く人がいる。
他者評価をコントロールしたくてたまらないんだろうな~。
話は飛ぶが、自分の不遇な経験を売り物にして他人のふんどしで収入を得ていた作曲家。
彼は詐欺師? 妄想癖? 幼稚な敏腕プロデューサー?
いずれにせよ周囲をコントロールしたい人種には違いない。
誰にでも理想の自分はいて近づきたいと思っているのでしょうが、やりすぎは良くない。
やはり「見苦しい」。
自然体の美学、ありのままを受け止めるか、ありのままを進化させるか
そんな風に過ごしたい。