THOUSAND WINDS -64ページ目

サロメ

トマスの福音書。
「私はあなたの弟子です」
サロメがイエスに言う。
当時女弟子は認められていなかった。
トマスの福音書に述べられている情景察すると、
二人ベッドを共にしたとしか思えない。
ヘロデ王の娘で、洗礼者ヨハネの首を所望したとされる人物と同名。
しかしヘロデ王の娘の名前がサロメなどとは、
聖書のどこにも書かれていない。
トマスの福音書には所々花嫁の部屋だの花婿と言う表現が出て来る。
真相は闇の中。
マグダラのマリアも、ベタニアのマリアと混同される事があるし、
一体当時の信者たちは、
何を隠蔽したかったのだろうか。

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私が先任者より引き継いで、良かったなと思っています。
他のぐるっぽでも、管理人が辞められて、新たに継続のぐるっぽ立ち上げられているのを見ましたが、
どこも苦労されている模様。
雑に前のぐるっぽより情報を移しただけ、みたいな
未整備な環境ではありますが
カトリックに限らず、こんなのは
無くならせてはならない。
先任の方の意向が完全には守られてはいないかもですが、
ここまで続きました。
まだこれからも続きます。
私は辞めません。

ピアニカ

楽譜を図書館で借りて来た。昔懐かしい流行歌のやつ。
縦笛でならまあ吹けるのもあるが、
基本的に私が楽器としてまともに扱えるのは、
ピアニカ位しかない。
専門はフルートなどと偉そうな事を抜かしているが、
所見の楽譜よりいきなり音を出せる域には達していない。
吹くごとに音がちゃんと出ればまだしも、
やはりうちのフルートはちゃちだからだめだと言う事にしておく。
なので楽譜があればとりあえずどんな曲か吹いてみるのなら、ピアニカしかない。
ただピアニカだけでもその域に達していればまだ楽しいだろうとは思う。
楽譜があったら基本的にどんな曲でも吹けるのだから。
でもフルートにはこだわりがある。
もしも仮にもうちょっとましなフルート買っていれば、
音質は良かったのだろうか。
ピアニカみたいに、初見の曲もそれなりに吹けただろうか。今はまだ音が出たりでなかったりみたいな状態。

めしあ

今日の説教で疑問に思ったこと。
ユダヤ人らがイエスに言う。「もしメシアなら、はっきりそう言いなさい。」と。
もし仮にイエスが「私がメシアである」と言った所で、
ユダヤ人らはイエスがメシアである事を認めようとしないとか、あれこれ難くせつけるとか、申されていた。
私はそうは思わない。
ヨハネ書のユダヤ人らは、イエスを捕らえる理由が欲しかったから、
ああ言ったのであって、
もしも自分がメシア、ユダヤ人の王様だとか言って、
クーデターでも起こす気配があれば、
ローマ帝国に対する国家反逆罪で、
十字架につけられるからだ。
それはともかく、
めしあの一日のライノベの中に出て来るめしあと言う女の子の話。
ついこの説教の時に思い出してしまった。
何も出来ないめしあ、
どじっ娘だから萌え要素だけはあるめしあ、
つい守ってあげたくなるめしあ、
めしあに何かあったら、
この世は滅ぶ。
だから常に厳重なガードをしき、彼女を守る。
彼女の唯一の特技は、共感能力、
相手の感情が無条件に流れ込んで来る。
あまりに悲しい感情が注がれると、ステイグマ、聖痕が体の特定の箇所に浮き上がり、危険な状態になる。

本来はこうではなかったか。
メシアは守られるべきでは
なかったのか。
当時イエス以外に、沢山の自称メシアがいたらしい。
そのどれが本物のメシアだったのか知らないけれども、
キリスト教徒だったら間違いなくイエスを名指すだろうが、
誰であれ、
我々はメシアなる人物を
十字架にかけて
殺してしまった。
本来のメシアの意味がもし、
めしあの一日のようだったら、
我々人類はその時最大の罪を犯した事になる。
この世が滅んでもしょうがないみたいに見えるんだが。
それを認めたくない為に、
ユダヤ教では未だメシアは到来してない事にした。
キリスト教的な信仰がユダヤ人になかったからではない。
でなきゃ、
あまりに我々悲惨過ぎるだろ。

ひげさん

6年前にお世話になった。
あれからすぐ定年を迎え
一線を退いていた、いや、
時々無牧の教会に手伝いに、
つまり牧師しに行ってる。
今日いつもの教会で久方ぶりに会った。
私の受洗して頂いた司祭だった、ある意味恩人でもある。
長いあごひげをしていて、木の杖をついていたから、今日も全く同じ、
最初会った頃には神様かと思った。
でも牧師さんも人の子でしかない。
牧師は窓に過ぎない、ガラスを通して信徒が神に出会う機会を与える役目、
そう申されていた。
よく嫌にならず続けられたものだ。みんなあの人のおかげ、今こうやってクリスチャンみたいな事をやってるのも。
いつまでもお元気でと言いたい。