めしあ
今日の説教で疑問に思ったこと。
ユダヤ人らがイエスに言う。「もしメシアなら、はっきりそう言いなさい。」と。
もし仮にイエスが「私がメシアである」と言った所で、
ユダヤ人らはイエスがメシアである事を認めようとしないとか、あれこれ難くせつけるとか、申されていた。
私はそうは思わない。
ヨハネ書のユダヤ人らは、イエスを捕らえる理由が欲しかったから、
ああ言ったのであって、
もしも自分がメシア、ユダヤ人の王様だとか言って、
クーデターでも起こす気配があれば、
ローマ帝国に対する国家反逆罪で、
十字架につけられるからだ。
それはともかく、
めしあの一日のライノベの中に出て来るめしあと言う女の子の話。
ついこの説教の時に思い出してしまった。
何も出来ないめしあ、
どじっ娘だから萌え要素だけはあるめしあ、
つい守ってあげたくなるめしあ、
めしあに何かあったら、
この世は滅ぶ。
だから常に厳重なガードをしき、彼女を守る。
彼女の唯一の特技は、共感能力、
相手の感情が無条件に流れ込んで来る。
あまりに悲しい感情が注がれると、ステイグマ、聖痕が体の特定の箇所に浮き上がり、危険な状態になる。
本来はこうではなかったか。
メシアは守られるべきでは
なかったのか。
当時イエス以外に、沢山の自称メシアがいたらしい。
そのどれが本物のメシアだったのか知らないけれども、
キリスト教徒だったら間違いなくイエスを名指すだろうが、
誰であれ、
我々はメシアなる人物を
十字架にかけて
殺してしまった。
本来のメシアの意味がもし、
めしあの一日のようだったら、
我々人類はその時最大の罪を犯した事になる。
この世が滅んでもしょうがないみたいに見えるんだが。
それを認めたくない為に、
ユダヤ教では未だメシアは到来してない事にした。
キリスト教的な信仰がユダヤ人になかったからではない。
でなきゃ、
あまりに我々悲惨過ぎるだろ。
ユダヤ人らがイエスに言う。「もしメシアなら、はっきりそう言いなさい。」と。
もし仮にイエスが「私がメシアである」と言った所で、
ユダヤ人らはイエスがメシアである事を認めようとしないとか、あれこれ難くせつけるとか、申されていた。
私はそうは思わない。
ヨハネ書のユダヤ人らは、イエスを捕らえる理由が欲しかったから、
ああ言ったのであって、
もしも自分がメシア、ユダヤ人の王様だとか言って、
クーデターでも起こす気配があれば、
ローマ帝国に対する国家反逆罪で、
十字架につけられるからだ。
それはともかく、
めしあの一日のライノベの中に出て来るめしあと言う女の子の話。
ついこの説教の時に思い出してしまった。
何も出来ないめしあ、
どじっ娘だから萌え要素だけはあるめしあ、
つい守ってあげたくなるめしあ、
めしあに何かあったら、
この世は滅ぶ。
だから常に厳重なガードをしき、彼女を守る。
彼女の唯一の特技は、共感能力、
相手の感情が無条件に流れ込んで来る。
あまりに悲しい感情が注がれると、ステイグマ、聖痕が体の特定の箇所に浮き上がり、危険な状態になる。
本来はこうではなかったか。
メシアは守られるべきでは
なかったのか。
当時イエス以外に、沢山の自称メシアがいたらしい。
そのどれが本物のメシアだったのか知らないけれども、
キリスト教徒だったら間違いなくイエスを名指すだろうが、
誰であれ、
我々はメシアなる人物を
十字架にかけて
殺してしまった。
本来のメシアの意味がもし、
めしあの一日のようだったら、
我々人類はその時最大の罪を犯した事になる。
この世が滅んでもしょうがないみたいに見えるんだが。
それを認めたくない為に、
ユダヤ教では未だメシアは到来してない事にした。
キリスト教的な信仰がユダヤ人になかったからではない。
でなきゃ、
あまりに我々悲惨過ぎるだろ。