THOUSAND WINDS -375ページ目

落書き2

昔このプロバイダで書きかけていた小説未満のお話、
全く前のまんま載せるつもりもないので、
アレンジしてみる。
いくつかのやつをこの上で検討してみる。
私の予感が正しければ、
私の今見えている世界が
変わるかも知れない。
基本的には一つの世界設定で成り立っている。
平行宇宙、隣り合う二つの世界で、
それぞれのものが入れ替わった事によって、
一方の世界の側にひずみが生じてしまう。
このひずみの為にこの世界は遅かれ早かれ滅ぶ事が
決定づけられてしまう。
それを何とかくいとめようとして、
この世界の住人らが動き始める。
まずはこのねじれの原因となったものを探しあてて、
元の状態へ戻してやる事。
そのためには入れ替わった魂をそれぞれ元の体に戻すために、
どちらか一方の世界側に、
ねじれのもとを引き合わせること。
それによって片方の世界は助かるかも知れない。
ただしもう一方は逆に
滅びを免れ得ない。
題名とか主人公とかは
変える。また同じ主人公は出さない。
もうひとつ同じ世界設定で、
別の話がある。
こっちはまたあとから

落書き

以前みたいな真剣な事はもう二度と書けない。
電車の中で書けないからとわめくわりには、
創作意欲がわかない。
だからやっぱり前のところが良かったんだろう。
潰してからしばらくすると、
やはり後悔するみたいに思う。
最近この携帯電話のキーが何か
ゆるくなってきた。
ただの電話だったらここまでキーを酷使したりしない。
押しやすくなったと言うわけではないが、
指が自然に動くようになった。
だから一時よりは携帯電話で書く事に
不便を感じなくなった。
これまでみたいな、一日10件もこの携帯電話から書くみたいな真似は、
もう絶対に出来はしない。
ひとまず中断する

書けない!

電車の中で書けない。
電車が混んでいたから。
いつもなら多少混んでいても
どうにか書けるのに。
この30分の間のむなしさ。
携帯電話を片手だけで操ると言うのを、
ついにかなわなかった。
やはり今の携帯電話である限り、
両手打ちしか出来ない。
だから背もたれの出来る場所がないと、
電車の中では書けない。
いくらいやなことがあったとしても、
ブログを毎日書くことだけは
やめようがない。
しかし一日の間でブログ出来る時間は
ことのほか少ない。
差し迫った問題としては、
どこに書き物を落としていくかだ。
プロバイダによっても私の
思い込みが違う。
こないだのブログ位
存在感の希薄な場所を見つける事は
容易ではない。
だからやはりあれぶっ潰したことは、
もったいなかったなと思う。
いつかまたこことは違うところで、
あんなのを再生出来るだろうか。

死んだブログ

そう思わずにいられない。
アクセス数は記事の数に比例している。
しかしここのブログはもう末期状態にあるみたいに見える。
だからここではあまり真剣なことも書かないでいよう。
一応アメーバに足をつっこんだ状態で、
またしばらくは退屈な、
アクセス数関係ないような、
たわごとをのせるつもり。
もう一歩のところまで来ていた
私のスタイルの確立まで。
もうそれも手遅れである。

再度故池田晶子女史を忍ぶ

休日本屋にて故池田晶子女史の
遺した未公開の日記帳が市販されていた。
2月でまだ1周忌。
自称彼女の弟子を自認して、
立場は違えども彼女が生きていたら、
インターネットにもう少し理解を示していたら、
こんな風な事書いたんじゃないだろうかみたいな、
哲学的な記事も出来るだけ書いた。
あちらは無神論者、私はクリスチャンと全く立場は異なるのだが、
共感する所はとても多かった。
もしかしたら、スピリチュアルが言う所の、
ソウルメイトかも知れない。
まあ自称なので、実際に本人に会ったわけでも了承を取ったわけでもないから、
全く同じ事が出来るはずがない。
ただ私だって
言葉の力を信じているから、
書き手が変わっても
同じテーマを扱う限り、
テーマ自体が我々に書かしめるであろう。
主体は言葉の側にあるから。
だからと思ってブログ上でそれをやろうとしていたのだが、
前任のブログはもろくも
こっぱ微塵になってしまった。
もはやこんな愚かな事は辞めておいたらいいのだろうか。
私が彼女の後継として筆を起こすなどと言う事は。