再度故池田晶子女史を忍ぶ
休日本屋にて故池田晶子女史の
遺した未公開の日記帳が市販されていた。
2月でまだ1周忌。
自称彼女の弟子を自認して、
立場は違えども彼女が生きていたら、
インターネットにもう少し理解を示していたら、
こんな風な事書いたんじゃないだろうかみたいな、
哲学的な記事も出来るだけ書いた。
あちらは無神論者、私はクリスチャンと全く立場は異なるのだが、
共感する所はとても多かった。
もしかしたら、スピリチュアルが言う所の、
ソウルメイトかも知れない。
まあ自称なので、実際に本人に会ったわけでも了承を取ったわけでもないから、
全く同じ事が出来るはずがない。
ただ私だって
言葉の力を信じているから、
書き手が変わっても
同じテーマを扱う限り、
テーマ自体が我々に書かしめるであろう。
主体は言葉の側にあるから。
だからと思ってブログ上でそれをやろうとしていたのだが、
前任のブログはもろくも
こっぱ微塵になってしまった。
もはやこんな愚かな事は辞めておいたらいいのだろうか。
私が彼女の後継として筆を起こすなどと言う事は。
遺した未公開の日記帳が市販されていた。
2月でまだ1周忌。
自称彼女の弟子を自認して、
立場は違えども彼女が生きていたら、
インターネットにもう少し理解を示していたら、
こんな風な事書いたんじゃないだろうかみたいな、
哲学的な記事も出来るだけ書いた。
あちらは無神論者、私はクリスチャンと全く立場は異なるのだが、
共感する所はとても多かった。
もしかしたら、スピリチュアルが言う所の、
ソウルメイトかも知れない。
まあ自称なので、実際に本人に会ったわけでも了承を取ったわけでもないから、
全く同じ事が出来るはずがない。
ただ私だって
言葉の力を信じているから、
書き手が変わっても
同じテーマを扱う限り、
テーマ自体が我々に書かしめるであろう。
主体は言葉の側にあるから。
だからと思ってブログ上でそれをやろうとしていたのだが、
前任のブログはもろくも
こっぱ微塵になってしまった。
もはやこんな愚かな事は辞めておいたらいいのだろうか。
私が彼女の後継として筆を起こすなどと言う事は。