この作品の中で「血」は、個人のアイデンティティに強く関連するものとされています。まあ、人が帰属する社会の中で、自己のアイデンティティを確立するものであるとすると、その帰属社会自体が2つあり、いずれにもに帰属するのが「混血」だと考えれば、アイデンティティ構築にあたり、大いに悩むことになる、ということなのでしょう。
この悩みに直面した、朝鮮半島と日本にまたがる混血家系の人々が、様々な生き方を選択し、あるものは倒れ、あるものは生き抜く、その様子を通じて、「血」とは何か、ということを作者は問うているようです。 読後、どの生き方が自分にとって好きか、という話はあるかもしれませんが、いずれの生き方が良いか、と問われると少なくとも私は答えがありません。深い問題として描かれており、簡単な判断は下せません。
本作品には混血(クォーター)の兄弟が登場します。太郎と次郎です(南極に行くわけではありません)。 物語は、はるか昔の太平洋戦争時代に、大日本帝国陸軍大尉でありながら、脱走をはかり、以後行方のしれなかった兄弟の父、李慶孝(この父親はハーフです)から、25年ぶりに一通の手紙が来るところから始まります。父は、日本軍から脱走し、戦後、韓国で出世して、韓国軍の高官となっていました。そこから、次郎の回想が始まります。
この作品のタイトルであり、回想の舞台となっている剣ヶ崎は、三浦半島の突端、東京湾の神奈川県側の入り口に位置する岬です。回想する時代は太平洋戦争時代。平時ならさほど問題にならない混血が、戦争という非常事態の中で、特に大きな問題となったといえるでしょう。 回想には、自らの「混血」に対して、異なる態度をとる4人の人物が登場します。兄弟の太郎と次郎、及びその父親(冒頭久しぶりに手紙をよこした人ですね)、及び兄弟の叔父です。
太郎は、混血の場合、どこにも所属できる社会はなく、信じられるものは「美」だけだといいます。秀才だった彼の言動には、見事なほどの人生への裁断があります(回想の中では17歳なのですが・・・) 彼は、戦争から、社会から目を背けて生きて行こうとしますが、ある事件があり、混血ではない従兄弟に殺されてしまいます。
次郎は、兄を非常に尊敬していますが、混血の問題に対しては、兄とは異なる道があるのではないか、いつかは、いずれかに帰属出来ることもあるのではないかと、結論を急ぎません。ある意味、人間を否定した兄に対して、弟は、いつかは人間を愛せるのではないかといいます。戦後、彼は国文学を専攻し、日本人として生きていくことになります。
兄弟の父親は、日本陸軍から脱走して、戦後は韓国人として生きていくことを選びます。とにかく意思の強い人です。作中で太郎が『妻子に消息ひとつもたらさないあの男は、よほど強靭な意志の持ち主に違いない、とこの頃俺は考えるようになった。俺はもしかしたら、そんな親父を尊敬しているのかもしれない。』(※1)といいますが、まさにそんな感じです。
後に、父親が公務で米国に行く途中、日本に寄って次郎に会うシーンがあります。そこで、父親は脱走当時のことを話しますが、その際、『(混血に関する)迷いは青年時代にどこかに捨ててきた。』と言い切ります。そして、極めつけは次の台詞です。『・・・これはまずあり得ないことだが、かりに、今後、韓国と日本のあいだで戦争がおきたとする。そのとき私は、韓国人として、母の国日本を滅亡させることに自分のすべてを投入するだろう。おまえの子供達は、反対に、韓国人を殺しに来るだろう。これが歴史だ。・・・・』(※1)
実の息子に言う言葉だろうかという気がしますが、彼の性格、立場をよく表しているのではないでしょうか。この人、作中に占める登場回数は非常に少ないのですが、インパクトが非常に強いです。意思の弱い私など、彼の人生がよいかどうかは別にして、この意思の強さには、憧れてしまいます。
兄弟の叔父は、父親とは逆に終戦まで、色々迷いながらも日本帝国海軍中佐として生き、終戦と同時に自決します。日本人になりきろうとしたものの、敗戦によりそれが難しくなり、かといって他に道もなく、追い詰められてしまった結果でした。
4人のうち、最終的に生き残ったのは、結局、人間に対する信頼を捨てることなくどうすればよいのか考え続けた次郎と、強烈な意思で迷いを捨てた父親だけでした。後者は、誰にでも出来るというわけではない・・・特に私には無理そうなのですが・・・。 余談ですが、企業経営等における意思決定の考え方にリアルオプションという考え方があります。これに従うと、延ばせる決断は先延ばしにした方が、価値が高い(=良い)ということになります。次郎は、リアルオプション的に価値が高き生き方をしたのかもしれません。
作者の立原正秋という人は、1926年1月6日、朝鮮慶尚北道に生まれました。この「剣ケ崎」等のいくつかの作品が、芥川賞候補となり、1941年「白い罌粟(けし)」という作品で直木賞を受賞されています。(※2) 彼については、やはり高名な作家の高井有一という方が書かれた、その名も「立原正秋」(※3)という本があります。この本によりますと、彼は編集部に勧められて、この「剣ヶ崎」を書いたようですが、勧められる以前から、このようなテーマに関する関心は高かったようで、書き始めてわずか二ヶ月で書き上げたそうです。なかなか面白い人で、公表した年譜に多くの虚偽があったり、色々あったようですが、そうせざるを得なかった彼の人生も頭に入れて、作品を読むと、また面白いのではないかと思います。
(※1)「剣ヶ崎・白い罌粟」(立原正秋/新潮文庫)
(※2)日本人名大辞典
(※3)「立原正秋」(高井有一/新潮社)