信念、哲学、宗教 | マイノリティの自覚

マイノリティの自覚

最近自分の思考はどうやら少数派に属するらしいことが分かってきたが・・・,果たしてそうなのだろうか?

日常考えたこと、読書感想などを・・・・を書く予定



暑いぜ。暑くて死ぬぜ。


暑くないときでさえ目が死んでいるというのに、このままでは本体も死んでしまう。


生存本能が働いたらしく、扇風機を倉庫から引っ張り出す。

2年前の夏に2000円くらいで買った扇風機。

これで3度目の夏を乗り切ろうってんだからずいぶん活躍したものである。




唐突に宗教というものについて考えてみる。


宗教の定義は何かと言うと、自分なりに考えてみたところ

「ある一貫した行動方針、考え方、生活様式を体系的にまとめたもの」

と思った。


従って、何かの信念や哲学を集めて、一つの方向に向いているものを編集したら宗教になるんじゃないかと思っている。


そういう意味では俺の中にも宗教はあるのかもしれない。 信者は一人しかいないが。


俺の中の「宗教」は神は必要ではない。

信じるものは自分で決める。

自分で納得できるかどうかだけが重要。



これは別に、他人が特定の宗教を信仰するのを批判しているわけではない。

でも何かを信じるのであれば、どうして信じるのか、その由来は、とか、納得した上で信じるのであればいいけど、盲目的な信仰は危険と思う。




この間読んだ本。

世界の宗教が面白いほどわかる本 (中経の文庫)/加藤 智見
¥580
Amazon.co.jp


世界の有名どころの宗教の歴史とか考え方が紹介されてます。


面白いほど分かるかどうかは分かりませんが、まあそれなりにはなんとなく分かった部分もあります。


読んで思ったのは、宗教って必要から生まれもの。


現代とは比べられないくらい、生活していくことに不安の多い、昔の時代に宗教が発生する。


昔は、知識が本の形でもあまり存在しないし、教育者も識者もあまりいない。

そんな中でみんながなんとかうまくやっていくためにはどうすればいいか。


誰でも理解できる言葉、簡単な言葉でうまくいく行動方針、なるべくストレスなく生活できる行動方針、を広めた人がいる。

それを実践する人や信じる人がたくさん出てきた。

で、それが宗教になったんじゃないかと思う。


(ちなみに、神がいるとかいないとか考える必要があるのは、行動、信念の正しさを保証するためなんじゃないかと思ってる。)



まあ、そんなわけで、最初に色んな「教え」を考えた人にはそれなりに理由があったのだろう。

でもそれはその時代の生活、状況に合わせたものであるべきだと思う。



だから、宗教って盲目的に信じて、それで幸せになれるとかいうものじゃなくて、そこから得られる教訓とか、意味を理解して自分の生活に適用していくことに意味がある。



仏教はそもそも、人生の先輩である釈迦が後輩の人間に仏陀(悟った人)に成るための道を説いて進めるもの、であるらしいし。



まあ、何が言いたいかっていうと、色んなものから吸収して、自分なりの信念、哲学を持って、自分の信じるもの(宗教)を作りたいものです。