愛読書の1つである宮沢賢治『銀河鉄道の夜』
その中に「本当の幸い」は何だろう?と考えさせる場面があって、この作品のテーマとなる問です。
自分の思う幸福は本当に幸福なのか?
これで幸せになれると信じる人
それは本当に幸いなのだろうか?と疑問に思う人
みんなにとっての幸い
自分にとっての幸い
それぞれの幸福
人生の中で、度々『銀河鉄道の夜』を思い出し、幸せについて考えます。
※以下、作品考察ではなく、自分の中の幸福論を好き勝手に綴らせて頂きます
世間や物語でよく言われる幸せとして描かれるのは
富・名声・美貌・不老不死・永遠の愛…
自分だけの幸せであることが多い。
欲望を満たすもの。
その幸せが永遠に続くことを望む。
それらを得た人は満足し、「幸福だ」と感じるのでしょう。
しかし、彼らは本当に幸せなのか?
大きな幸せを得た途端、それらを失うのを恐れ始める。または、「もっともっと」と、欲求が増して行って、より大きな幸福を求め出す。ギャンブルと同じように。
そして、自分の思う幸福に執着し、執着するが故にトラブルに巻き込まれたりする。
ずっと幸福であることは幸福なのか?
何が幸福か、それこそ分からなくなると思うのです。不幸や絶望を知らずして、幸福はあるのでしょうか?
『鬼滅の刃』の鬼舞辻無惨は「私の嫌いなものは変化だ」と言って、不変を望んでいましたね。
私は永遠であること・不変に価値を感じません。
変化があるこそ面白い。
いつか滅びるからこそ、今在る瞬間が尊く美しい。
大人になってからは、より強くそう思います。
子供の頃は、お金があれば幸せになれると思っていました。自由になる為にはお金が必要だ、居心地の悪い家庭(所謂、毒親育ち)から抜け出して、一人暮らしをする為の資金が。何とかして早く大金を得られないか?と小5から考え始めました。子供は働けないから、一攫千金・宝くじ当選・玉の輿などを夢見ていました。
人間関係についても、10代の頃は友達と一緒にいるのが当たり前で、「ずっと仲良しでいようね」と誓い合ったり、お揃いのグッズを付けたりして、まるで友情を証明するようなことをしたものです。安心できるからなのでしょう。
お金を得て、ある程度の自由を手に入れることは、確かに必要でした。でも、それ以上のことは望まなくなりました。
金持ちになって裕福な暮らしをすることは、私には重要でなかったし、私にとっての幸せは他の所にあったのです。快適に暮らせたらそれでいい。
有限なるもの。
無常観から、いつかやって来る終わり・消滅・死を思うと、何が大事で何が幸せかが見えて来ます。
ずっと同じ幸せが続くとは限らない。変化する。そういうものだと悟れば、失うことはそれ程怖くはない。唯一瞬の幸福でも、幸福だと感じられたなら、それは凄く素敵なことだと。
人間関係に不変は有り得ない。人は変わるもの。
趣味が変わるだけで交友関係は変化します。ダンスをやっていた時はダンス仲間がいて、ダンスをやめてピアノを始めたらピアノ仲間ができ、ダンス仲間とは疎遠になってしまったが、数人とは親しく続いていおり、会わなくなってもSNSで話すことがある。
繋ぎ止めておこうとしなくていい。
変化を受け入れる。
大切な人を思う気持ちだけは変わらない。みんなそれぞれに幸せであったらいいなと願います。
