先月誕生日が来て、大台に乗りました。

節目ですねニコニコ


夫からは大好物のフライドチキンにアップルパイ、そしてバッグとストールもプレゼントして頂きました♡

歳を取る毎、私は私になっていく。
精神年齢が高いので、やっと実年齢がこの魂にしっくり来るようになりました。
子供の頃は生き辛かった。気持ちは大人、体は子供。妙に達観していて、可愛げ無い子だったと思います。

アニメよりドラマばかり見る小学生でした。中高生時代、映画はフランス映画やグレタ・ガルボ主演の古い作品を好み、音楽は90年代が終わると、どんどん古い音楽を聴くように。(エディット・ピアフやシルヴィ・ヴァルタンを聴いていました。やっぱりフランスに惹かれる)
周りと話合わないから、同い年の子達といながらジェネレーションギャップ凄かったです(笑)

精神年齢は物凄い早さで老けて行きました。
人々の醜さや煩悩を目の当たりにして、自分もまた醜い生き物になって行く…。
私の人生は、幼くして世の中に絶望してしまう程、壮絶なものでした。
精神が子供でいては、耐えられないのです。早く大人にならなければ!助けてくれる者はいない。自分で自分を守らなければ生きられない。
どんな事があったのか、誰にも話したことがありません。このまま墓場まで持って行きます。言葉にするのさえおぞましい。非常にショッキングな内容になるので、人に話すことはできません。

良いのか悪いのか、私は幸せな人生を送って来たように見えるようです。何の苦労も知らずに育ったお嬢様。華やかで周りからちやほやされて、何でもやってもらっているみたいな?
そういうイメージの所為で、勝手に妬まれたりすることが偶にあります。劣等感の塊のような人にとっては、私と色々比べて惨めになるようで。「あの人は私にないものを全部持ってる」とか、そんな風に考えるんでしょうね。
私が羨ましいですか?私と同じ人生を送って耐えられますか?と問いたいです。
人はどんな人生を送って来たかなんて分からないし、本当に悲惨な事は話さないだろうし、僻むもんじゃないですね。

上記のようなイメージを持たれる原因は、18歳の頃にあります。
気品をとても大切にしていました。
気高くあればある程、私は強い。
理不尽なことと戦う為にそうしていました。
例えば、暴言を吐かれたら「私の気品でもって、己の醜さを恥じるがいい」と心の中で呟き、淡々と言うべき事を述べ、非の打ち所の無い振る舞いで対応。そうすると相手は「自分の方が年上だ」等と、必死で自分が優位に立とうとするので笑えます。
気品は正になる。粗野は負になる。
でも、30歳になる頃には戦う必要がなくなって来て、気高い振る舞いでいては人々とフレンドリーになれないのに気付き、崩すようになりました。
普通の大阪のオバチャンになったで〜ひらめき

壮絶な人生を送るとメンタルが強いので、大抵のことは辛いと感じなくなりました。
夫は「あんた嫌いや!」って面と向かって言われた事あるけど何とも思わない、と言ってましたが、私もそうかもしれない。
夫は小学生の時にイジメを受けていたそうです。
メンタル最強夫婦(笑)指差し

今の私は幸福です。
健康で衣食住が不自由なくできて、基本的人権が尊重され、人に対して愛情を持つことができる。これで充分。それ以上望むことはない。

人を信じたいけど信じられない、人間不信からも脱しました。(安心して信じられる人は僅かにいて、長年支えられて来ました。感謝します)

今の私は一番私らしい。
人にどう見られようとか、人が望む私を演じる必要はない。
実年齢がはまると、なんて心地良いものでしょうか。

重い話になりました。
生きることは大変だけど、生きていて良かった。
昨日の夜、夫とそう言い合って、お互いに今幸せなんだなぁと思いました。