ホテルのラウンジで演奏させて頂く機会があり、行ってまいりました。

撮影可でしたが控えました。カメラをセットすると、いかにも弾きますという感じがして、空間を妨げてしまう気がして、自分の中で「余計なもの」であった為。


ピアノを演奏している際、普段はピアノを聴きに来ている観客がいらっしゃり、聴こうという姿勢や集中されているのが空気で伝わって来ます。

しかし、ラウンジのお客様達は全く気に留めずに、それぞれの時間を過ごされています。

それは珍しい感覚でした。BGMとして演奏するのは間接的な距離感で、それもまた心地良い。(スポットライトを照らすのでなく、間接照明で空間に雰囲気に溶け込むような入り方なのです)


これが自然な形なのかもしれない。

音楽の在り方とは…如何に?



無になること。

そこから新しい感覚が宿り、目覚めるのかもしれない。

無であること。空っぽになること。

それは良くないイメージがあるけれど、大切なんじゃないか?と思います。

最近、ぼーっとする大会が開催されたようです。

何時間ぼーっとできるかを競います。

私は昔からよくぼーっとしていて怒られていました。

見た目は何もしていないので、ダラケている・サボっているように見られてしまう。

だけど私は考え事をしているのです。頭は活発に働いています。

でも人々は、肯定的ではありません。


ある日私はベンチに腰掛け、ぼーっとしておりました。

色付いた落ち葉を、静けさに佇む木々を、唯眺めていました。

落ち葉の様にはらはらと、自分の中から不要なものが落ちて、消えて行くようで、最早何か考えることさえ止めて、無になりました。

これが瞑想というのでしょうか。

何分もの間、そうしていました。

そして意識を戻した時、感覚がやや研ぎ澄まされたように感じました。