ショパンは、音楽をストーリー化する事を好ましく思わなかったようです。

バラードの作品は、ミツキェヴィッチの詩にインスピレーションを受けて作られたとされていますが、詩のストーリーを音楽にした訳ではない、とどの文献にも書かれていました。


オリンピックでフィギュアスケートの高橋大輔選手が『道』を演じていましたが、その映画は観ていないのだそうです。

『道』の音楽のイメージをそのまま表現したいという理由で、敢えて映画は観なかった。

当時の高橋選手のコーチのインタビュー記事に載っていました。


ショパンは音楽は音楽そのものとして感じて欲しいのかもしれない。

だから私は、ミツキェヴィッチの詩を読んで考察するのは止めておこうと思います。

当て嵌めて考えても、やはり別物だから、あまり意味がないかも…。



それでも、ショパンの音楽は文学的だと、物書きを趣味としている私は思うのです。

●ストーリーが浮かんで来る音楽。ついつい物語を作ってしまいます。←ショパンは嫌がりそうですが(笑)

●舞台演出的な音の配置、持っていき方。

シーンの切り替わりを予兆させたり、現在・過去、時間の移り変わりも感じられますね。

顔で笑って心で泣いての様な微妙な表情の入れ方とか。

●小説や脚本でいう、「伏線」が巧みに入っている。

これとあれが最後にこういう事になるんや!みたいな繋がり。