ある春のこと。

私は毎朝、通勤で神社の境内を通るのだが、そこの桜が見事であった。


石造りの階段を降りるのに、桜色の雲海の如し。その間から、隣の立派なお寺の屋根がちらりと見えて、何とも美しく、写真を撮ろうとしたところ、下にいた人が手招きして、「こっちからだと綺麗に撮れる」と言うので、仕方なく数段降りて撮影した。


建築物好きな私は、桜を綺麗に撮りたい訳ではなかった。咲き誇る花よりも、階段に舞い降りた花びらの方を好む。


また、最初の場所へ戻ってみると、もう私の撮りたかった景色ではなくなってしまった。

ほんの僅かな間に、お寺の屋根は陰って薄暗く、あの時の輝きは何処へやら。



あれは一瞬の世界だったのである。

当たり前の様に存在しながら、ある条件を満たした時だけ現れるのだ。


今日練習していて、そう気付いた。

物凄く弾きやすい瞬間があった。音の響きも良かった。なのに、ほんの少しピアノを離れて戻ったら、同じ様に幾度弾いても、あの瞬間の感覚ではない。


一体どんな条件を揃えたら、あの素晴らしい世界の扉は開かれるのだろうか。

何も動いていないようで、変化している。

物も、時も、私も。

CDで演奏を聴くより、コンサートで聴く方が感動するのは、ある意味一瞬の世界だからかもしれない。