デュラスの『愛人』。
今年に漫画版が出て、絵の雰囲気が良かったので読んでみたけれど、やはり原作を読む方が良い。デュラスの淡々とた文体が魅力的だから。


何だろう。何歳で読んでも、自分と何処か重なり合う様な、そんな感じがしてしまう。

小6の時に何となく、〈それ〉に気付いた。
書道の授業で、隣りの席の男の子が「またやり直しになった。あの先生きつい」とぼやいた。
「そう?優しかったけど」私が然程上手くない漢字に花まるが付いたのを見せると、
「ああ、お前は女子だからな」と言ったのだ。
先生は担任とは違う、男の先生だった。

それから、歳を取るごと、私は一部の大人達に気に入られやすいのだと悟った。

私は特別に可愛いくも美少女でもなく、クラスメイトにモテはしなかったので、同じ年位の子と付き合って、青春らしい青春を送る友人らが、少し羨ましかった。
でも、望んではいなかった。
大人で、仕事に就いており、何かしら信念を持って生きている、スーツの似合う男が、その時は好きだった。
需要と供給は一致していた。しかし、出会いは十代の私に訪れなかった。
唯、何度かは〈それ〉に勘付く事があったというだけ。そして私は、知らない振りをする。

「ラマン 」と、冗談でそう言われた事があった。職場の人達。私は何故か既婚者に好かれやすい。だから、そういう雰囲気があるのかもしれない。

会社の忘年会の立食パーティーで、私のファンだという人達と飲みながら話していた。その時私はまだ独身で、彼らは皆結婚していた。
早口の人がいて、聞き取れなくて、「ん?」と聞き返した時、「その目がいけない」と言われた。「そんな風に近付いて見上げられるとドキドキする」と。
そして別の人が「この子は愛人にしたら、絶対良いよ」と言い、周りは盛り上がった。
私は若干ショックを受ける。
今の夫と、結婚を考えていた時だったから。

〈それ〉が具体的になった。
彼らからストレートに、好きだ!とか、凄くタイプだ!と言われた事もあるが、幸い、彼らは思いを告げるだけで、何か求めては来ない。
後はこちらの出方次第で、道を外れる事もあり得るだろう。だから用心はしている。
そして、彼らがとても紳士であるお陰で、私の純度は損なわれずに済んでいる。

しかしながら、自分がどういう女なのか、デュラスの様に客観的には、なかなか捉え難い。