セザンヌ
20/12
Kunsthaus
人間というのは
そもそも優しいものなのです。
自然に対する様に
人間にも幸せを見つけるのです
心が晴れ晴れする瞬間が
他の人間の中にも
あるものなのです。
自然の中に人間性、命を見つけ
また人間の中に
自然性を見つけるのです。
肩のフォーム
形状
そんなふとした陰影に
自然のエレメントが
混ざっているものなのです。
自然と同様の流れ
自然と同様の影のつき方
そんなところに
自然と同じ永遠性を見るのです。
全てが大きな流れの中で悠々と存在している
そんな広大な自然の哲学を
ふと隣りに座る少年に
見つけるのです
それも少年の顔ではありません
少年の腕の様な
物質として存在する人間の
その見た目が
自然と少年と合わさるのです。
少年は特別ではなく
只座る存在なのです
何者でもある必要は無く
只そこに座る姿が
自然と同化して
見えるのです。
自然とは正に
鑑賞者の見方により
波動が同調し
目の前で作り出されるものなのです。
自然とは鑑賞者のものなのです。
逆に自然とは
鑑賞者次第で
どうとでもなるのです。
自然を作り出すのは
鑑賞者の心であり、
豊な心が豊かな自然を導くのです。
自分の志を
高く持ちましょう。
人間に人間を見るので無く
人間に自然を見て
その自然を深く雄大なものにするのです。
自然の深さとは
人間の心が決めるものです。
より豊かな自然へ
地球を導くため必要なことが
何かお分かりでしょう。
他人に雄大な自然を見いだす
それもその人の在り方、人間性からで無く
その姿形から
無条件に行うことです。
条件付きで人間を見ることなく
自然のどこの部分にも
共感する様に、
人間に無条件で深い自然の景色を見るのです。
人間とは
その言動全てが
大自然の反映なのです。
人間に批判性を見ることは、
自分を檻の中に閉じ込める行為と
まるで何も変わりません。
自然とは批判されるものではありません。
深く深く潜る無限の存在です。
人間を見る時
中身の人間性を見るのではなく、
もっともっと表面の
光の反射や陰影に
自然を見る時と同じ
批判性の無い
感謝する気持ちを
見つけるのでは無いでしょうか。
この人はどんな人だろう
この質問を自然の中の木にしますか?
この人とあの人を区別する
そのカテゴリー分けこそが、
コンセプトという
重力、そして寂しさなのです。
人間の多くの苦悩は
大自然を目の前に繰り広げることが出来ない
頭でものを見る心かも知れません。
