1週間経った今も、

眼の裏にその光景が強く焼き付いているように一瞬一瞬がくっきりと思い出されます。

 

 

生涯忘れることの出来ないであろう衝撃的な夜でした。

 

 

その日、僕達はシュトゥットガルト近郊の街ルートヴィクスブルクで演奏会がありました。

バロック音楽界のレジェンド、ルネ・ヤーコプス氏と共に、

リアス室内合唱団(オーケストラはベルリン古楽アカデミー)がリリースしたCD、

J.S.バッハ《ロ短調ミサ》のCDリリース記念ツアーです。

 

 

演奏会が始まる1時間前、直前リハーサルが終わり、

今日のコンサートの成功は約束されたかのように思えました。

 

僕はのうのうと同僚と散歩に出かけ、30分ほど、

日が沈むのを予感させないほど強い日差しがじりじりと肌を焼くような18時半を楽しんでいました。

 

 

コンサート開始20分前。

 

会場に戻ると、インテンダント(劇場支配人)やチーフ達が集まって何かを話しているようでした。

 

コンサート前に深刻な表情で何人もの大人が集まって話をしている。

 

まさに、「悪い予感」です。

 

 

たまたま通りかかった僕がチーフから声をかけられました。

「テノールソリストの体調が良くないらしい」

 

つい先程まで素敵な声を聴かせてくれていた彼の急な体調不良を、信じられるわけがありません。

「もしもの時は・・君は合唱を歌わずソリストとして立ってくれるか」

 

 

そこから舞台に乗るまでの記憶が定かではありません。

宇多田ヒカルのバックバンドで演奏する予定だったギタリストが、

宇多田ヒカルの急病により代わりに歌を歌うみたいなものです。

しかもテノールのアリア(130分のドラマの最後の章で来る)は舞台上で歌った経験がない難曲です。

 

 

何を背負って舞台に乗ればいいのか、

今自分の身に何が起こっているのか、何もかもを理解できていない感覚でした。

 

 

 

コンサートが始まる直前、

他のソリスト達が「君がソリストの代役か」と僕に声をかけました。

 

舞台上に劇場支配人が現れ、

「代役はシモンヨシダが務めます」とアナウンスされました。

 

 

 

舞台上で目まぐるしく、

休憩なしの130分という時が流れました。

 

どう歌っていたのか、ほとんど自身で感触を感じることが出来ませんでした。

自分の声を聴いている余裕は全くなく、

ただ己を信じて音を紡ぐしかありませんでした。

 

 

最後の一音が切れるまで、

なんとかこの舞台を護ってください、と神様に祈るしかありませんでした。

 

 

 

 

気がつくと130分が終わり、

最後の楽章 “Dona nobis pacem 平安を与えたまえ” を歌い終えた僕達の前の前には、

立ち上がって拍手を送ってくださる多くのお客様がいらっしゃいました。

 

 

万雷の拍手の中で、ルネ・ヤーコプス氏が僕の手を熱く握ってくれました。

 

果たされました。

 

 

 

 

舞台裏へと退くと、同僚達が僕を待っていました。

 

毎日一緒に歌を歌って、共にコンサートを創って、

苦しい時も楽しい時も時を共にする、僕の宝物です。

 

そんな宝物のような同僚が、僕を熱く抱擁してくれました。

緊張から解き放たれ、その場で涙を流し、

崩れました。

 

 

 

その夜、

同僚達が「シモンに乾杯」とジョッキを片手にお祝いしてくれました。

幕開け直前に窮地に立たされた今回のコンサートを、共に祈り通し、歌った同僚達です。

僕を支え続けてくれました。

 

 

僕にソリストの代役を委ねてくださった上司の方々、

舞台上で共に祈ってくれた同僚には、どう感謝してもし切れません。

 

 

 

 

 

 

 

後日、

新聞のクリティーク(批評)がリリースされ、僕の名前も載せられていました。

https://www.bkz.de/kultur/denkwuerdiger-abend-fuer-barockmusikliebhaber-142792.html

 

ドイツ語で「代役のシモンヨシダは彼の役目を素晴らしく果たした」と書かれています。