合計8つの演奏機会があった12月-1月の日本滞在ですが、

それもそろそろ終わろうとしています。

 

僕は「親しき中にも礼儀あり」という言葉を大事にしようと思っているのですが、

大事にしているばかりに、残念に思うことがこの日本の滞在では多々ありました。

それは僕の心を大きく蝕み、悲しませ、そのことで僕は毎日悩みました。

 

最近のドイツの演奏会やオーディションで、頑張っていたからか嬉しい言葉をもらうことが多かったのも、

却って日本でのあらゆる違和感を感じる原因となったかもしれません。

 

本当に心に染み渡る言葉は、その人と喋っている時から涙が出そうになります。

こちらも心を開いていて、相手も開いているからです。

 

 

でも、なぜこれほどまでに、今回の滞在では運悪く僕だけが心を開いて、

それを良いことにそこにずけずけとゴミを捨てていく人たちがいる。

 

 

本当の音楽の幸せはリハーサルの日々の中にあって、

演奏会はその頑張ったご褒美、と僕は思っていましたが、そうではないこともあるようです。

 

日本で演奏をすることは、殊に外国語の歌を歌うことは、

これほどまでに苦しい徒労だったのでしょうか?

 

そもそも、プロの演奏家に、その仕事に命を注いでいる人に向かって簡単に

「より上手になった」とか「深みが増した」とか、

本当にそういった感想を述べて良いものか、各々が考えるべきなのではないか、と思います。

 

距離感とはなんでしょうか。

礼儀って、なんだったのでしょうか。

 

 

 

僕にとって真のお客様は、

何も褒めなくとも、僕たちの音楽を好んでくださって何回も来てくださる方のことです。

わけのわからない言葉を言う人のことではない。

 

 

歯医者に「歯石取るの上手になったね」って言いますか? 

コックに「イケメンになったね」って言いますか?

 

放っておけば良いのです・・努力している人は!!

世辞を言うあなたなんぞ客としても必要ないのです、努力している人は。

努力している人は、誰を必要としているか明確に知っています。

 

「最初は緊張していた様子だけど、段々よくなったね!」

という言葉も、どういうつもりで言っているのでしょう。

どういう神経で、そう言うのでしょう。

(いや、僕が言われたわけではないんですけどね。)

 

放っておけば良いのです。演奏会もコース料理と一緒で全部油っぽい料理にはしないもんなんです。

緊張しているのは舞台側だけじゃない。

むしろ舞台側の人は緊張なんか慣れたもんだ。

 

客であるあなたが緊張してうまく耳に入ってこなかったと言う可能性を、なぜ考えもしないのでしょう?

 

 

 

必要ないことは言わない、やらないのが大人の流儀だ、と僕は習いました。

僕は、もっと大人の方に囲まれて成長したい。

必要ないことをやっているほど人生は長くないからです。