僕は覚醒剤取締法違反で逮捕された、元教員です。
ここのところ少しお疲れ気味です。
頑張りすぎる状態を持続させるのは難しいし、
かと言って人にうまくヘルプを出せるわけではない…
僕は、人の手を煩わせたくないし、うまく相手に指示が出せない。
そして、自分が都合いいように仕事を進めたいところもある。
でも、頑張ってるね、ありがとうとは言ってもらいたい。
育ってきた環境には、周りの期待があふれていました。
期待の声かけだけでなく、時には叱ってほしかったし、現実を見てほしかった。
やっぱり親の影響って大きくて、
いまだに親と顔を合わせるたびに
「教員免許だけはもう一度申請したほうがいい」なんて言われます。
親は、古い時代の人間なので教員イコール聖職者とでも考えているのでしょう。
学校現場なんて、自分が学生の頃のイメージしか湧いてこないものですからね。
だけど、公務員の犯罪がこれほどネット上にいつまでも残ることを親は知らない。
生きている時代は同じでも、見ている世界が違うのだ。
踏ん切りをつけて前を向こうとする自分に、いつも後ろ髪を引こうとする声かけをしてくる。
僕は、「今はそんなことは考えてないけど…」と短く落ち着いて答える。少しイラっとはするけど。
教員じゃなければ薬物をしていなかったとは、今は思えない。
他の仕事に就いていたって、遅かれ早かれ薬物に手を出すような人間だったのだ。
僕に、何が足りなかったのか?
あるいは、僕に不要な要素は何だったのか?
過去は過去。
楽しく子どもたちと走り回ったのも、
目がまわるほど忙しかった宿泊行事も、
毎日黒板に字を書く生活も。
だから、割りきりたい。
最近は、自分の思い通りにならなくても、
人は人で自分は自分…
いくら真剣になったところで、そのパワーがもったいないとすら思っている。
所詮、関わる人も他人だからだ。
いくら願ったって、その通りに人は動かない。
だって育ってきた環境も生きてきた人生も違っているのだから。
この先また考えは変わっていくだろう。
もっとドライに生きられるようになるかもしれないし、
金の亡者になるかもしれない。
今までみたいに、損得考えずに動き回って人の役に立とうとするかもしれないし、自分の趣味が優先できる日がくるかもしれない。
全てはタイミングなのだ。
来月から始まる介護系の研修を受けようと申し込んだのも自分の意思。
このタイミングだ、と急に思い立ったのだ。
だから、趣味が見つからないとか、仕事依存になっているとか現状を嘆くよりも、
いつかトンネルを抜けて急に新しいことを始めようと思い立つタイミングがこれからもあるはずだ。
今、変化を求めていない事柄については、何も焦る必要はない。
いつか芽が出て花開くこともあるはずなのだから…
