僕は覚醒剤取締法違反で逮捕された、元教員です。
毎日暑いですね。
1日のうち1/8以上を通勤時間に費やしているのですが、
電車の中で本当はやりたいことがたくさんあります。
ドラマも観たいし、音楽も聴きたい。
資格勉強の動画も観たい。
だけど、現実はランダムに流れてくる音楽を垂れ流すことすらしんどい毎朝です。
少しでも精神的余力がないと、セルフケアはおろそかになってしまいます。
だから本当は休みたい。
だけど、休んだらもう行けなくなってしまうかもしれない。
利用者さんとのかかわりや、課題と向き合うことは特にしんどさはないんですよ。
訓練の担当も営業も別に嫌じゃない。
ほとんど全てが人間関係です。
しかも、上司。
僕自身、子どもの頃から自我が強く自分で物事を決めて実行し、達成することで強化されてきました。
これは、そうせざるをえない家庭環境で育ったことも関係していますが、
「人に頼れない」「批判されるのがこわい」などさまざまな理由があるかと思います。
「こんな先輩であるべき像」みたいなものはあっても「こんな後輩になれたら」という視点で考えたことはありませんでした。
だけど、それは社会で求められるスキルなんですよね。
相手を尊重し、立場を意識し、
肩の力を抜いて付いていく…
それができません。
理不尽な指示にその都度イライラし、
自分がよかれと思ってやってきたことが無下にされる。
失敗だとか成果が挙げられないやり方なら
自分で改善していきますよ。
…あ、また自分で、と言ってますよね。
結局、「自分で考えます」は相手の負担を軽減するために使う言葉でもあります。
時間泥棒はしたくない。
だけど、相手のために時間を割くのは僕は好きです。
主観と客観に大きな乖離があるのでしょうか。
考え出すとよくわかりませんが、
僕は物事を大きく捉えすぎる、深刻に考えすぎる部分もあるので、
相手はそこまで悩んでいないのかもしれません。
同じように悩んでいてほしいとも思いません。
それよりは、急な変更や気の迷いで指示をコロコロと変えることに腹が立つ。
目的がわからないのに、曖昧な指示により大きな労力を割くことに抵抗を感じるのです。
中小企業あるあるなのかな。
まぁいずれにしても、福祉というよりビジネスだなと最近感じています。
やりがいって何なのだろう。
今の仕事に就いた元をたどれば、自分がカウンセリング的なものを
定期的に受けていた上で
相談支援という職種に憧れたこと、
人の話を聴き力になりたいという気持ちが強かったことから始まっています。
その観点に立つと、目の前の利用者さんは
僕と面談する中で何か得ているのかな。
気づきがあるのかな。
前に進もうとパワーをチャージできているのかな。
…あまりそういう手応えがなく、
自分のスキルを育てる環境にないなと改めて思います。
そもそも向いているのだろうか、と。
自問自答する日々ですが、
目の前の利用者さんが少しでも生きやすく「自分を変えよう」と思っているといいな。
