僕は覚醒剤取締法違反で逮捕された、元教員です。










逮捕の日、僕はどうすることもできなかった。


これは、必然だったのだ。


ここで自分で死ぬか、それとも捕まるか。










本来、薬は身体の不調を治すためにある。


市販薬にせよ、処方薬にせよ、服薬することで症状が和らぐだろうというメンタル面での効果が

実際の効能以上の力を発揮するように思う。










薬が作用しているという過信。

転んで膝小僧の血を見た子どもが急に痛みを感じて泣き出し、

絆創膏を貼ってやると痛みが治まるのと同じだ。












自分が自分であることが嫌になっていた。


今も変わらない部分はたくさんある。


だけど、あの時は自分の存在が消えてなくなればいいのに…そしたらラクになれるかな?なんて思っていた。


だけど、死ぬ勇気なんてなくて、

視野はどんどん狭くなっていく一方。












もう限界だったのだ。


警察の前を通るたびに、パトカーのサイレンが聞こえるたびにずっとヒヤヒヤしていた。


今、生きるのがラクになったかと問われれば、

そんなことはない。









自分は不安や悩み事を生み出す達人だと思う。


一つでも不安があると、焦燥感から目の前の出来事が楽しめない。


目の前のことが仕事だと、どういうわけか切り替えられる。










だから、僕はとりあえずヒマさえあれば働く。


こういう面も昔と変わっていない。


だけど、短距離走的生き方は不器用この上ない。









すぐにバテてしまうからだ。


そこまで心血注ぐ必要はない。


身を粉にして何が残る?


なのに、それがやめられない。












この生きづらさは病気なのだ。


覚醒剤が生み出した病気なのか、病的精神状態が先にあって覚醒剤に手を出したのかはわからない。


たびたび、どちらが先か論争が自分の中で繰り広げられる。


だけど、そんなことを考えることは結局無意味だとわかっている。










過去は変えられない。


過去は薄らいでいこうと、なかったことにはならない。


良くも悪くも。


だから、生きることに意味なんて見つけだそうと思い悩む行為自体が無駄時間であり、

今自分が少しでも充実感を得るにはどうわがままになるべきか…

そのわがままを実行することが課題なのかもしれない。