僕は覚醒剤取締法違反で逮捕された、元教員です。
過去の記憶はどんどん薄らいでいく。
そうしないと生きていけないから。
僕はその時その時をいつも全力で生きてきた。
だから、あの時そんな行動を取らなければよかったのに…と後悔することはあまりない。
もちろん一時的な失敗に対しては、モヤモヤと考えこむことはあるけど…
それはきっと今の生活がある程度うまく回っているからであって、もしかしたらこの先ひどく後悔することが出てくるかもしれない。
覚醒剤で逮捕されたことを後悔していないか…そう問われると、自分ではどうにもできなかった…
というのが答えかもしれない。
おそらく、薬物が手に入る環境が手放せない限り、ずっと使い続けていただろうし、
「今回が最後」と何の根拠もなく考えていただろう。
逮捕されなければ、再使用を繰り返し、どんどん心身は蝕まれて怒りっぽくなり閉じこもり、自分のことがますます嫌になって目の前の仕事もうまく回らなくなっていたかもしれない。
周りにつらい思いはさせたけど、だけど逮捕という段階ではもう限界は過ぎていたのだろう。
自分が依存症だということに気づいていなかった、というのがおそろしい。
自分が消えてなくなってしまえばいいと考えていた。
誰にもワガママが言えず、いい人だと思われたい自分を捨てたかった。
その2点は今でも心に浮かぶことがある。
だから、「薬物を使いたい」が第一にくるのではなく、薬物を「今の自分自身が嫌だ、逃げたい」という気持ちからの解放のための手段として捉えてしまっているのだと思う。
結局、人間は過度な遠慮や我慢を日々続けることで
相手に取り返しのつかないくらいの心配や迷惑をかけることになる。
だけど、当人はそんなこと考える余裕もない。
心を病むと視野が狭まるからだ。
だから今日も一日平和に過ごせた、ということが何よりも幸せであり、
よく眠れた、おいしいものを食べられたというだけでも恵まれているのだ。
曇り空ですら、寝転がってそれを静かに眺めることができる朝はとても贅沢だ。