僕は覚醒剤取締法違反で逮捕された、元教員です。









みなさんにとっての幸せはなんですか?


自分にとっての幸せを見失ってからどれぐらい経ったのでしょう。










現実は変わっていません。


薬物を使う以前楽しめていたことを楽しいと感じないのです。


昨日YouTubeである方の体験談を見ていて、その方はドーパミンを自分で作り出せなくなるからだ…というようなことを話していました。










いろいろ調べたわけではないので、その情報だけが正しいのかわかりませんが、

自分は脳が壊れているのか…と改めて痛感しました。


今さら悲観的な気持ちになったわけではありませんが、少し溶けた食いしばりで噛み砕いた奥歯の溝を気にしながら古傷を確かめていました。











僕は疲れがたまると奥歯の溝を舌先でつつくクセが出てきます。下品ですよね。

舌先が傷つくまでやめられません。


そういう常同行動というのが、覚醒剤の後遺症なのかな…と思います。


歯科に通ってからも、その溝は埋まることはありません。


精神科でも、溝は埋まりません。












健康体に産んでもらったのに、

自分を散々痛めつけたこと。


薬物をやめてもなお、痛めつけ続けていること。


…本当に無力だな、と思います。


ブレーキがすり減った自転車に乗ると、停まる時に靴を引きずり、爪先を痛めつけるしかありません。










結果的に、何か無茶をするとどこかに弊害が出るものです。


全力がカッコイイなんていう美談を信じ続けていたかったけど、冷静さや賢さが自分を救うのだと最近は思います。











ずっと輝いていることは不可能だけれど、一回失いかけた光もまた強く輝きを放つことがある。


そう信じることが大切だと思います。











光が強まったり弱まったりするのは、当たり前のことで、

人間も電池切れを起こすこともあれば故障することもあります。










結局悪い思い込みが自分を破滅させたのですが、

「いい思い込み」もあると思います。


物事をいいように解釈しないと、幸せを逃すことになります。










最終的には、「考えることがムダ」という境地にたどり着くのかな?と思います。


自分が得意なことや慣れたことに取りかかり始める時、頭を使うという意識にはならないでしょう。


自然とこなせるはずです。










車の運転も、楽器の演奏も。


結局、難しく考えずに「なるようになるさ」という意識が明日の自分を救うことにつながる気がします。