僕は覚醒剤取締法違反で逮捕された、元教員です。
GWの連休後半ですが、特に何の予定もありません。
旅行の予約ぐらいしておけばよかったなー…と後悔していますが、パートナーは朝からせっせと楽器を吹いています。
昨日も書いたことと関連して…
芸能人や著名人の犯罪、逮捕、自殺などのニュースに大きなショックを受ける人は多いかと思います。
だけど、それと同じように僕も教員という立場にありながら違法薬物で逮捕されたということは、仕事上関わった子どもたち、信頼してくださっていた保護者、頼りにしてくれた同僚を深く傷つけたのだということ。
傷つけたという事実と反省しろという声は当然だけど、
普段の生活では身近な人たちを深く傷つけたということを棚上げしているような気がしています。
罪の意識を常に持ち続けることは大切ですが、そこに捉われすぎると前に進めません。
だから、自然と記憶から排除しようとしているのだと思います。
いつもいつも棚卸ししなくていいけど定期的にそれを言葉に紡いで、もう会えない人々への謝罪はしたほうがいいのかもしれません。
それをできる場が、僕の場合はNAです。
ブログでいつも本音に近いことを書いているつもりだけど、綺麗事を言っている部分が少しはあると思います。
ここで全てを書いてしまうことで、何かトラブルに巻き込まれたり変な嫌疑をかけられたりするのも嫌だからです。
ただ、思っていない綺麗事でも、言葉で表出することでその通りに行動せざるをえない場面ってありませんか?
その度合いが過ぎると、おそらく自分自身は潰れてしまうのですが、
壊れた脳と心を元に戻すことはできません。
覚醒剤の危なさって、頭がおかしくなること…というよりは心を壊してしまうことにあるのだと感じます。
もちろん、その逆も成り立ちます。
心が壊れているから覚醒剤に手を出す。
つまり必要十分条件なのです。
薬物使用をやめている状態が続いても壊れた心は元には戻りません。
心が壊れるとはどういうことか。
僕が実感してしまう部分を挙げてみます。
・無気力、意欲の欠如
・感情の表出が極端になる(すぐ傷ついたり、すぐ苛立ったり…あるいは無感情になる)
・こだわりが強くなったり神経質になったりする
まだまだあると思いますが、今はそういう部分が顕著かもしれません。
元々喫煙や飲酒の習慣がなく、ギャンブルもしない僕が違法薬物に依存したのは、違法というスリルに興奮を覚えたのかもしれません。
ドM?とかそういうことでもなく、破滅願望というのかもしれません。
破滅願望は短絡的に構築された感情ではなく、根深い問題が背景にあるように思います。
生育環境(虐待やネグレクト、養育者との死別)、HIVなど治らない病気…
分類はまだまだあると思いますが、大きく分類すると、僕はこのあたりが一番大きな問題かと思います。
それから対象は物か他者か行為かは置いておいて、誰しも何かに依存しているのだと思います。
例えば、「仕事で嫌なことがあれば食べて発散する」という人はいつも同じような食べ物に走りがちではないでしょうか。
また、「食べる」という行為で発散しているといえます。
他にも、「取引先やお客様からクレームを受けた」という時には、家族の中の特定の人やパートナー、特定の友人にいつも相談していないでしょうか。
それは、その相手(=人)に依存しているともいえます。
まだその2つは健全なほうで、それができない人は性行為に依存したり違法行為に依存したりしてしまうのです。
もちろん、食べる以外に、寝る、運動するなど生理的現象と関わる行為で嫌な出来事をかわして器用に自分のバランスを保っている人がほとんどなのかもしれません。
総じて、僕たち違法薬物の依存症者は、生き方下手であり不器用です。
(読んでいて、不快に感じた方はすみません)
今日は長くなり、何が言いたかったかわからなくなってしまいましたが、少し自分の悪循環のループを断つ整理ができたような気が…しなくもない。
まぁ、人は自分が経験したことのない出来事は所詮他人事なんです。
わかろうと思っても、わからない。
それが当たり前なのです。
だって、僕はガン患者の気持ちはわからないし、営業のノルマに追われている不動産会社の営業職の苦労はわからないのです。
大きな災害に見舞われた人ことを画面越しに、大変だなとか気の毒だなと思っても、
実際に経験していないからわからないのです。
人からいくら支えてもらったって、結局は「自分がどう行動するか」…
人からもしそんな正論を叩きつけられたら落ち込むけど、今日書いていて考えが整理された朝です。