僕は覚醒剤取締法違反で逮捕された、元教員です。









僕は教員になりたかった理由を、今でも情熱的に語れる自信があります。


まず、僕は家庭のしんどさを小中時代から抱えていて、当時の校長や担任の先生が定期的に個別に声をかけてくれました。









それがたとえ業務の一環だったとしても、当時の僕には自分だけを気にかけてくれる時間が嬉しかった。


それから今でこそネガティブですが、子どもの頃は絶えずニコニコしていたので、わりと友達が集まってきてくれるタイプでした。










自分で保護者サインをして、学童に行き、年下の子達をまとめて遊びを遂行したり

教室に遅くまで残って、友達や先生と話したり…


学校という場が大好きでした。










家庭環境というのは大きなもので、やっぱりしんどさを抱えていたので、少しでも学校という逃げ場にいたかったのだと思います。


勉強は中学に入ると、完全につまずきました。









平均点以下を取るなんてこともザラで、落ち着いて勉強する環境になかったのです。


それも言い訳かもしれませんが、同じく父子家庭の仲のいい近所の友達とつるんでいました。









だけど、祖母がそれを見かねて塾に入れてくれた。


親にはお金がないという理由で塾に行かせてもらえなかったけど、そこで成績があっという間に上がった。


だから、環境にさえ恵まれればもっと高い能力を身につけられたのかな…なんてときどき思います。









過ぎ去ったことなんて推量しかできないですけどね。


高校受験は、自分の志望校より少し低めの私立高校の特進コースで特待生を取ることができた。


だけど、男子校にいくのか…それとも自由な公立に行くのか。









…僕は、公立高校で自由を謳歌した。


中学では、家庭環境を言い訳に部活にも入ったり入らなかったりしたけど、

走ることが好きだったので陸上部に入った。









練習はきつかったけどそこてできた友達と、いつも一緒に行動してたなー。


クラスの友達に誘われて、バンドのボーカルになり市民センターで本番に出たこともあった。


まさに青春。


もう戻ってこない青春。








 


…そうしているうちに、脳梗塞で倒れた祖母の容体はどんどん悪くなり、同居の祖父の認知症もひどくなり…








あ、今日のはじめになぜ教師になりたかったかを書こうと思ったのに、脱線してしまいましたね。


結局、困った人の役に立ちたかったから。


苦労しても、逆境を乗り越えてきた自分の姿を示すことで、子どもたちにも明日を切り開いてほしかったから。


日本一、楽しい学級を作りたかったから。











しんどい環境に置かれた子達に共感できるのは、自分しかいないと思っていました。


だから、やりがいを感じていました。









だけど、最後は「しんどい環境で育った人はやっぱり花開くことはない」ということを露わにすることになっただけ。


悲しいですね。