僕は覚醒剤取締法違反で逮捕された、元教員です。








2月もあっという間です。


僕は去年のこの時期、退職を職場に申し出ていて、管理職には受理されていました。









4月から新たなスタートを切ろうと考えていたからです。


仕事は、前にも後ろにも進めず休職中の出来事でした。









小学校教員という仕事を10年間続けてくる中で、やりがいも感じていたし、常に全力で子ども達と関わってきたつもりでした。


だけど、その思いは時代の変化とともに通じにくくなってきました。


僕自身が時代の変化やその時代に求められているものを見極めようとせず、古風なやり方こそ正しい…と突っ走っていたことにも原因があったと思います。











コロナ禍になってから、行事は削減され簡易化され、学校運営に対する保護者からの満足度は下がる一方だったし、オンライン授業を認めたことによって不登校児童が激増したことで、教室が居心地のよい空間ではなくなりつつある子どももいました。


みんなで何かをつくりあげる…一人一人が尊重し合うことのできる学級経営が難しくなってきたのです。












今は、もうそんな配慮は必要ないのかもしれませんが、神経はかなりすり減らされました。


自分で、この数年間なのだから耐えられるよう限度が知れていればこんなことにはならなかったのでしょうけど…








あれだけ好きだった教職にやりがいが見いだせなくなってしまったのです。


このままでは、教育ではなく保育だ…


そう感じてしまったのです。









それなら、中学高校の教員免許を活かして、本採用ではなく講師でいいから音楽を通して子ども達と思いや感動を共有したい…


そういう思いが高まってきて、通えそうな自治体に講師登録に奔走していました。









ただ、教科の特性上4月当初の空きはなかなかなく、なかなかベストの答えがもらえませんでした。


ほんの数ヶ月でも、無職で退職金を受け取りながら空きを待てばよかったのに、それが待てなかったのです。


とにかく焦っていました。









見栄とプライドが捨てられなかったのです。


その結果、小学校、中学校、高校、特別支援学校の教員免許を失いました。









おまけに、当時の教育長が拘置所に来て、

「あなたは、本市のがんばる先生方の努力を台無しにした。二度と教育界の敷居をまたがないでほしい。」

と言われてしまい、それが今でも耳に、心に響き渡ります。









俺が学校のために、子ども達のために自分の身を削ってまで必死で向き合ってきたことを知って言っているのか?


…今となっては、覚醒剤を使用するという選択肢が出ている時点でそっちのほうが異常だというのは理解できるのですが…










正直、とても悔しかった。


僕が頑張れば、頑張る姿を見せれば子どもも保護者もみんな応えてくれると信じていたから。










世の中そんな「善」では、できていなかったのだ。


世間知らずだった。


突っ走りすぎた。


少しは歩こうよ。


いつも走らなくたっていいのだから。


ゆっくり歩くと見えてくるものがあるのだから。