大きいほうは「17 水の菩薩」


瓶に注がれれば、瓶の形となり

椀に注がれれば、椀の形となる。


一切の囚われがなければ

いかなるものにも収まって

満ち満ちている。


この世に

執着ほど心を苦しめるものはないでしょう。


執着を愛と勘違いしようものなら

相手もまた地獄です。


淀みなく、流れるものを

執着と言うエゴでせき止めてはいけません。


小さいほうは「17 花音」


あなたはいつも祝福されています。

幼子のように愛されています。


そのままで、ありのままで。

あなたらしくあれば、それだけで。


2つ合わせると


例えば、お金。

お金がないことを嘆く人は

お金のあることにも悩むものです。


常に頭から離れません。


もの、人、若さ、いろいろありますが

捨てれば楽になるのが執着です。


ならば

物事を整理整頓していきましょう。


ものも、空間も、人間関係も

惰性や見栄で集めてきたものを

思い切って手放すのです。


溜めこんできた思い込みも。


今まで玉と石ころを

同じように、扱ってきたことにも

気づくでしょう。


私が、私も、私だって、私なら。

そう言わずに、

1日を過ごしてみるのはどうでしょう。


「我」を放つのは至難ですが

言葉を立つのは容易です。


大丈夫!

誰もあなたを忘れはしません。


いつも許され、祝福されているのですから。


「自分だけに注目して欲しい」そんな「我」に執着しているから、苦しみが生まれるのだと。No. 1でなくてonly one、歌にもありますが、競い合って1番になること、誰かと比べて抜きん出ることに意識がいっていると、注目されている人が癪に触り、悔しくていられなくなります。とてつもなく羨ましく思うのは自分の内側にそれがあるからで、素直に受け入れればそうなるのだそうです。それを「なれっこない!」「なる訳ない!」「私には無い」と自分で自分をみくびり、否定しているとその「否定のエネルギー」が同じエネルギーと引き合って「なれっこない」を現実にしてしまう。更にはその「否定エネルギー」と同調するエネルギーと引きあって「愚痴、悪口、不平不満」を認め合う世界の住人になり、益々自信が無くなって不満な現実ばかりを引き寄せてしまいます。執着や依存から離れ、もっと自分が自分を大切にして誰よりも自分が自分へ努力を怠らず、認めてあげれば、魂は喜び、細胞はどんどん若返り内側から願望達成出来るようになるのですね。人と比べず、幾つになっても伸び代がある、足りない自分を楽しみに思って自分磨きをしよう!