大きいほうは「8 花危飛天」


他人の人生を羨んでも

自分の人生が豊かになる事はありません。


何者かになろうとすると

不自由になります。


そのままの自分を受け入れると

自由になります。


小さいほうは「28 不動明王」さま。


不動心とは

ありのままを正しく感じる心です。


泥の中から心理を見出すために

妄想を断ち切る心です。


道に外れて、道に誤ったとしても

救いの手を差し伸べられます。


光は闇に届きあなたは、

見守られていたことを知らされるのです。


2つ合わせると


なぜかけがえのない存在でありながら

何者かになる必要があるのでしょう?


需要の反対は欲望です。

欲望によって動かされているうちは

自由の意味を知ることができません。


怒り。

それは正当な感情です。


無理に押し殺す必要はありませんが

何に変容するか、それを見届けてください。


理解に変わるまで見届けてください。

怒りのままでは不自由になります。


本当に、心心が解放された自由な状態であれば、怒りに支配される事はありません。腹が立つと言う事は、何かにとらわれていると言う事。あるがままを全て受け入れ、エゴを外してイマココを信じれば、憂いも怒りも無いのかもしれません。美しいモノを美しいと感じて、穏やかに優しくいたいなぁと思います。