大きい方は「27 天奏楽」


今日が来ることを

誰かが約束してくれましたか?


明日を誰かが約束してくれていますか?

いま、幸せを感じていますか?


幸福はしばしば「退屈」な顔をしています。

平凡でとても普通です。


今日が来たら明日が来るように。


そうなのですか?

明日は間違いなく来るのですか?


小さい方は「20 慈愛」


慈とは母のように恵み深いこと。

愛とは見返りを期待しない純粋な思い。


たとえ

誰一人振り向かず、報われることが無くても

自らを、そしてすべてのものを生かす力。


2つ合わせると


劇的な「幸福」を求めて

幸福を取り逃しています。


それは

「幸福」を思考に当てはめているからです。


頭で考える幸福。

定義づけられた幸福。

ドラマチックな幸福。


それではきっと

いつまでたっても見つけることはできないです。


考えるよりも感じて下さい。


ときに失望が押し寄せます。

わたしの献身に

世界は応えてくれないという嘆き。


あなたが世界ではないのですか?

「世界の献身にあなたが応えていない」

そのことに気づいてください。


次々起こる天災、流行り病、政治不信、世の中の揺れはそのまま心の揺れに反映して、伴い、自ら引き寄せるように様々な艱難辛苦が渦巻きます。不安に支配された心は、暗い鬼が宿ります。まさに「疑心暗鬼」という言葉通りに、何もかも、誰もかれもが信じられなくなって、幸せそうな人を見ると、わざと水をかけるように意地悪をしたり、足りないところをつつきあったり、見える場所ならまだ良いけれど、他人様より自分が優位でありたい為に、自分のプライドを守る為に、見えない場所で意地悪をして心を満たしたり。でも、それは決して本当の意味での幸福ではありません。そんな自分に気付いたら「あれ?私病んでる!笑える🤣」全部笑える!と最後に付けてみる。そして、肩を払う。これ不思議ですが、邪気って肩に乗りますね。肩や背中が重い、立ち上がるのが面倒、猫背になる、みたいなことがあれば、先ずは窓を開けて思い切り、肩を払って音叉を鳴らす、お仏壇のおりんを鳴らすでもよいです。そして、さっぱりと顔を洗い、お風呂で汗を出して滞りや詰まりを流して気分転換しましょう。空が青い、道端のお花、朝露の輝き、誰にでも公平に当たり前にあるものに震えるほど感動できるようになれば、何が起きても幸せでいられるように思います。