大きい方は「17 水の菩薩」


この世に執着ほど

心を苦しめるものはないでしょう。


執着を愛と勘違いしようものなら

相手もまた地獄です。


澱みなく流れるものを

執着というエゴで堰き止めてはいけません。


小さい方は「32 天奏楽 花びら」


あなたという菩薩が誕生したことを

天界では喜んでいます。


すべてを超えて、

あらゆるものを糧として

新しく生まれ出たのです。


苦は歓びに変わり

塵は、祝福の花となって降り注がれています。


2つ合わせると


ものも、空間も、人間関係も

惰性や見栄で集めて来たものを


思い切って手放すのです。


溜め込んできた思い込みも。


いままで、玉と石ころを

同じように扱ってきたことにも

気づくでしょう。


心から楽しみ、

生きていることを心から歓び


朗らかにのびやかに

いのちの情熱の向かう方へと。


それこそを実在と言いましょう。

「私」と言いましょう。


間違った思い込みや執着から離れて、心から楽しみ、のびのびと朗らかに生きましょうと。執着から離れると、とても自由でどんな形にもなれますよと。水の菩薩さまは、水のように清らかに捉われず浄化して執着がないことの大切さを教えてくれているようです。執着する=コントロール。押し付けでもあります。信じることは愛、執着することは恐れ。愛からの行動と恐れからの行動では終着点は正反対。自分が本当に向かいたい場所は何処なのか?いつも心がふくふくと満たされて穏やかに優しい気持ちで、なんの不安も囚われもない心でいられること。そんな状態を目指したいと思います。いつも自身がそうであれば、必要なものやことは宇宙から自然と用意されるような気がします。