大きい方は「27 天奏楽」

今日が来ることを、明日が来ることを
誰かが約束してくれていますか?

いま、幸せを感じていますか?

小さい方は「31 天奏楽 笛」

望めば欲になります。

なにかのため、誰かのためでなく
本当の自分と対話して、ただ祈る。

そこにだけ見えるもの、
それでしか到れないところへ行くために。

2つ合せると

幸福はしばしば退屈な顔をしています。
平凡でとても普通です。

そうなのですか?
明日は間違いなく来るのですか?

頭で考える幸福。ドラマチックな幸福。
それではいつまでたっても
見つけることが出来ないままです。

考えるよりも感じて下さい。

耳を澄ませば
天奏楽の調べが絶え間なく流れています。

さぁ、踊るように歌うように軽やかに
一歩を踏み出す時がきました。

「幸せのカタチ」なんてものは無いように思います。その人その人が感じる尺度が違うからです。お金がたくさん稼げたらと思う人もいるでしょう。でも一億円稼いでも二億円使ったら貧乏です。10万円しか入って来なくても、二万円しか使わなければ豊かです。お金になんの心配も無くても、使えないほど健康を損ねていたら、それも幸せとは言えません。何か買って貰えて嬉しいと思うのは「自分の為に気をかけてくれた」その気持ちが嬉しいのだと思います。
でも、どんな気持ちだろうとその「もの」がうれしいと思う人もいることでしょう。一人一人皆んな違うので「幸せの尺度」は千差万別。共有しようと思うから、ズレや歪みが出るのかもしれません。自分は、何をもって幸せと感じるのだろうか?顔を洗って、瞑想をして、今一度ゆっくり感じてみたいと思います。