大きい方は「20 天の琴」

強い風が吹き荒れても決して失われず
かえって広がっていくものがあります。

それは「人の徳」です。

いつからでしょう。
「徳」が「得」に姿を変えたのは。

損得と有徳が混乱しています。

小さい方は「20 慈愛」

慈とは
母のように恵み深いこと。

愛とは見返りを期待しない純粋な思い。

自らをすべてのものを
生かす力。

2つ合せると

いつからでしょう。
「徳」が「得」に姿を変えたのは。

損得と有徳が混乱しています。

ヒトは人になるために
徳を磨き、積んでいくのです。

うまく生きるではなく
良く生きるために。

ときに失望が押し寄せます。

私の献身に世界は応えてくれない
という嘆き。

あなたが世界ではないのですか?
「世界の献身にあなたが応えていない」
そのことに気付いて下さい。

非凡なる才能は全てをそれに集約するから発揮されるものなのかもしれません。スポーツ選手でも芸能人でも、一点秀でている人はもしかしたら他のことは何も出来ないのかもしれません。だからこそ、平均点ではない人生が輝く。
当たり前のことが普通にできたら、それは普通な人生、「オール3」なのか「1つだけ5であとは1」なのか。極端に言えばそんな感じなのかもしれません。その程度は大なり小なりではあるものの、個性とはそのようなもののように思います。「4を5にする努力のほうが2を3にする努力のほうが楽しいし秀でる」これは息子の中学生時代に塾の先生に言われた言葉で本当にそう思います。苦手な事は努力も苦痛で目いっぱい頑張ったところで「普通」がやっと。それなら、好きなことを楽しみながら極めていったほうが個性が発揮出来ます。ただ、大切なことは、その場合に自分の苦手が得意な人をリスペクトすること。自分よがりにならずに、出来ないことが得意な人を認め、感謝すること。皆んな自分が大切なように、人も自分が大切です。主従や上下ではなく、お互いを尊敬し、尊重し合い、競争という反発ではなく共創していくとお互いに成長出来、相乗効果に伸びていけるのかもしれません。それこそが「徳積み」ということなのかなと器を広げていく努力の大切さを思います。