大きい方は「12 慈愛」

よしや哀しみが訪れたとしても
それは深まるほどに愛へと変わる。

それがまことであるように。

小さい方は「20 慈愛」どちらとも
慈愛のカードでした。

慈とは母のように
恵み深いこと。

愛とは見返りを期待しない純粋な思い。

だれひとり振り向かず
報われることがなくても

自らをそしてすべてのものを
生かす力。

2つ合せると

悲しみを知らないうちは
人は人生に問いかけてばかりいます。

悲しみとは
人生のほうがあなたに
問いかけるという経験のことです。

そこからあなたはどう生きるのですか?
悲しみの実相に触れて
人ははじめて目を覚ますのかも知れません。

ときに失望が押し寄せます。
私の献身に世界が応えてくれない。

あなたが世界ではないのですか?
世界の献身にあなたが応えていない。

そのことに気づいて下さい。

反対側から見てみると全く違う景色に見えることがあります。運転していても、行きと帰りでは同じ場所が全然違ってみえたります。今日は2枚とも「慈愛」のカード。献身の意味を理解しなさいということでしょうか?解って貰えない、報われていない、伝わらない失望。それはある意味「見返りを期待」しているからではないかと。愛した分だけ愛される。出した分だけ返ってくる。「してあげた」と思っているから減っていく欠乏感、飢餓感があるのかもしれません。「させて貰った」と思えば、同じ事柄なのに貰った分増えているので豊かな気持ちになります。本当に減っているのでしょうか?させて貰える豊かさに気付ければ、心は満たされお金では変えない豊かさを得られているのかもしれません。お金がある人はお金を出す。力がある人は、力を出す。知恵がある人は知恵を出す。皆んなが「自分に出来ること」で献身し合えば真の豊かさが競争ではなく共創で得られるように思います。