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大きい方は「12 慈愛」
微笑みと涙は
清らかなことがよく似ています。
哀しみは、
やがて、愛に変わるものだからです。
泣き笑いこそ、慈愛の姿です。
小さい方は「17 花音」
あなたはいつも
祝福されています。
幼子のように愛されています。
そのままで、ありのままで
あなたらしくあれば、それだけで。
2つ合せると
人智ではなく、生命の「摂理」です。
人間が熟成される時にあるのです。
悲しみの実相に触れて
人ははじめて目を覚ますのかも知れません。
ひとつのいのちよりも
尊く、重いものはない。
それはまことであらねばならない。
愛(かな)しみになるまで。
幼子のようにただありのままに無心でいて愛される。それでいいのだと。いのちの摂理に納得するにはそのことに気づきましょうということでしょうか?周りに合わせたり、気を使いすぎて自分ではなくなって、我慢に我慢を重ねて体調を壊し、自分ではなく過ごした先に人生を全う出来ず終えてしまう。そんな後悔をしないようにと。失う哀しみはやがて愛にかわり、それを教えてくれているのだと。コロナという期間の間に、多くの人達がそのことに気付いて、生き方を変えたのかもしれません。私もそう有りたいと願い行動を変えていきます。