大きい方は「12 慈愛」

微笑みと涙は
清らかなことがよく似ています。

哀しみは、やがて「愛」に
変わるものだからです。

泣き笑いこそ慈愛の姿です。

小さい方は「30 弥勒菩薩」さま。

善も悪もなく、
全てが一つに繋がって

生き生かされていることを
伝えるために降りて来られました。

全肯定こそ、賢者の道です。

2つ合せると

悲しみを知らないうちは
人は人生に問いかけてばかりいます。

悲しみとは、人生のほうが
あなたに問いかけるという経験のことです。

そこから、あなたは
どう生きるのですか?

哀しみの実相にふれて
人ははじめて目を覚ますのかもしれません。

大いなるものの大いなる決意で
万物が生まれました。

すべてがあなたに繋がっています。
幸福であって欲しいと世界が願っています。

哀しみはやがて愛に変わる。その経験はとても大切で世界は呼応しているよと。こんな辛い時にそんな気休め聞きたくないって時もあることでしょう。それで当たり前だし、そのままじっくりとその感情を丸ごと受け入れていることも大切です。無理に元気になろうとせずとも、時薬という言葉がありますが「時間」の経過によって落ち着いてくる、薄まってくる、和らいでくることもあるようです。風化するというか、熟成するというか、カドがとれて別のカタチに変化してくると、違う見方が出来てきて、あれ?もしかしてあの時、本当はこうだったのかな?全く聞く耳持てなかったけど、ってこともあったりします。良いも悪いも全てが経験。誰のせいでもなく、受け止め方次第だとしたら?そして自分の感情がそのまま呼応して外の世界が出来ているとしたら?慌てずとも焦らずとも春の日のような穏やかさでいつもいられたら良いですね。