さて。

私は自分の体験や理解を、なにかの役に立つかもしれない人にシェアしたいな~と思って

このブログを書き始めたわけなんですけど、
そのシェアしたい体験(&理解)というのは、簡単に言うと


「悟り・非二元(ノンデュアリティ)」と言われることと「引き寄せ・現実創造」と言われることは、

究極には同じ世界を扱っていて補完し合ってるように思えるよ

(私の体験では悟り・非二元の先【=時系列では「後」】に引き寄せ・現実創造があったんだけどね)


「究極の存在」は「個人(私)がいない全体」としても現れているし、

同時に「全く独特の個別性」を表現もしていてどちらも大切な表裏一体だよ

 

ってことでした。

「色即是空、空即是色、同価値です照れキラリン☆」みたいな)


でもこれを表現すると、「悟り・非二元(ノンデュアリティ)」の側からは

「この人わかってないな」と思われそうだし
「引き寄せ・現実創造」の側からは「この人なに言ってるかわからない」と思われそうだし
結局どっちからも「私には関係ない話」ってことになりそうだし!笑い泣き…と

(私のマインドが)思ったり、それになにより私は、
「人は好きなところで遊んでいていい!好きなように生きていい!

正解なんて無くて、なんならすべてが思い込み!」
と思っているので、誰がどこで何を信じてどう生きていても、
その人の本質・ナビゲーションシステムがその人自身の人生を導く、ってことに
信頼とリスペクトを持っていて、特になにかを言う気持ちにもなれませんでした。

でも、なんとなく、またその辺のことを表現してみたい気持ちが湧いてきたのです。

私はセミナーやセッションしたいとか本書きたいとかは思わないんだけど、
こういうことを考え、こんな風に生きている人がいるよ、ってことを表現して

ここに置いておけば、必要な人が見つけて役立ててもらえるかも!
私もいっぱいいろんな人の体験や学びや気づきををシェアしてもらって

人生に生かすことができたから!…みたいに思っています。


で、今回書こうと思ったきっかけになったのは
阿雲(阿部敏郎さん・雲黒斎さん)&奥平亜美衣さんの

「願望実現の仕組みと実践」というセミナー動画を見たからなのです。

「悟り・非二元」のメッセンジャーのお二人と「引き寄せ」作家の亜美衣さんとのコラボって、
私が表現したい世界観だったので、どんな表現してるのかな~?と

まるで好きなアーティストのセッション聴きたい!みたいなノリで見てみたらすごく興味深くて、
これに刺激を受けて出てきたことを自分のブログで書いてみよう~と思ったわけです。


まずは、素晴らしい理解を雲さんからいただきました!

(雲さんは、「雲黒斎さんの守護霊」と設定されていますが、
エスターにとってのエイブラハム、ダリル・アンカにとってのバシャールのように、
雲黒斎さんがチャネリングする高次元の目に見えない存在、

大いなる意識の一側面、と言っていいと思います。)

引き寄せって雲さんから見てどうなんですか?と黒斎さんが聞いてみたところ・・・

(ここに書いてもいいのかな?ざっと大意を書きます)

人生をどう生きたいかに良し悪しは無いし幸せを感じる形も違うけど、と前置きした上で

「海・山・川」のどこで遊びたいのか?に例えて説明してくれました。


例えでは、人は海で生まれるんだけど、社会に入るとまずは山登りが始まります。

それは達成する喜びの世界なんだけど、キリがない。

高さを比較はするし、登るという努力も伴うし。

でも、緩やかな道を景色を楽しみながらゆっくり登ることもできれば

険しい崖を危ない目にあいながら全力でフリークライミングすることもできる。

その辺はなにを喜びとするかの趣味の選択の問題と言うわけです。


でもそのうちに山登りに疲れてしまった人は・・・山から下りて、

今度はラフティングで川下り。流れにただ身を委ねて移り変わる景色を楽しむ世界。

だけど、いったん身を預けたら、川の流れも見える景色も決まって(決められて)いる。


そして、本来の「引き寄せ」は海に出てからになる。
ラフティングからヨットに乗り換えて、大海原を好きに駆け回る世界。
だからと言って全部自分の自由にどこへでも行けるわけじゃない。

風がないとどこにも行けないし、流れも活用しなきゃだから、そこでは

風や流れに身を委ねながらそれを活用する技術が必要。

 

だから、どこで遊ぶかで、遊び方や得られる喜びの感覚が違ってくる。

山での達成感、川でのすべてを委ねた気楽さ、海での風と流れを生かし

「場」と共にあって望む方向に大海原を駆け回る楽しさ。

自分の心が望むならどこを選んでどこで遊んでもいい!

 

そして、ふと落ち着きたい時にはどこで遊んでいても必ず空がある。

山にいても川にいても海にいても空は離れたことはない。

全部空(「そら」であり「くう」)の中で展開している、ってことでした。

 

(で、会話は、じゃあ海は悟りの状態で、そこで初めて引き寄せができるんだね。

作為的に向かっていく山を下りて、川を下って・・・というプロセスの先にあるんだね、

みたいに続いて行くのでした)

 

ひゃーーー!!!

すごいね!さすが雲さん!

私は同じような感覚を

「お父さんが運転してくれているそりに乗って滑り降りているような感覚。

私はあっちに行きたい、こっちに行きたいって指さすだけで

望みの方向に連れて行ってもらえる。

でも、お父さんはもっと素敵な景色が見える場所を知っているから

違うルートを通ったりする、それがまた面白いんだ」みたいに表現したことがあるけど

(⇒この記事の終わりの方ね)

海でのヨット! なるほど!

 

波や風を操る技術は、ちょうど私達が自分の波動(エネルギー)を調整する技術みたいだし

(どちらも自然=「大いなるもの」の方に私たちが合わせていく)

気圧の差がなければ風が吹かないように、

世界にコントラストが無ければ推進力(=望みを知ること)が生まれないものね。
(コントラスト=嫌なことと心地よいことのように、二元的な対称のある環境のこと)

 

 

長くなったのでこの話続きます。

本当におひさしぶりです。


いきなりですが、私いろんなことを言葉にするのが面倒になってました!

うんちく語るより、さぁ目の前のリアルに取り組もうよ!
どんないのちの表現も許されてる、あらゆる可能性が開かれてる、

「いざ生きめやも!」…みたいな。笑

なにをするのもしないのも、本当に、文字通りに、
正しいとか間違ってるとか 良いとか悪いとか無くて
「なんでもあり」「そのままでいい」そこに愛と自由がある~みたいな気楽さを感じてたら
すでに現れたり表現されているもの(←現象。起こってることね。

てか、見ていることは全部すでに「起こったこと[過去形]」なんだけどね)に対し、

なにかを言う気がほとんどおこらなくなってしまってたのです。

だって全部が完璧な表現なんだもの。
(「欠点が無い」って意味の「完璧」じゃなくて、

「それ以外はあり得なかった」っていう意味の完璧さ

=それ以外は幻想の世界・マインドの作るお話だからね)

全部その場で味わわれて全部その場で消えてゆく。
「あ~美味しかった、ごちそうさま!」の他になにか言うことあるの?…みたいな
そして、私が表現しなくても、たくさんの人がいいこといっぱい書いて(&言って)くれてる!
もうすでに世界にたくさんの気づきや素晴らしい表現が溢れているものね?
…みたいな感じでしたが、また書きたいことが出てきたので書き始めたいと思います。

(自由だな!…てか気まぐれか!笑)


まずは近況から。
 

4月に4年ぶりに沖縄に戻って来ました。
そして10代後半の男の子二人のお母さん(&シングルマザー)をやり始めました。

いや、前からやっていたんだけどチュー
上の子が自立して家を離れる前の、親子3人で暮らす最後の1年を
思い切り楽しもうと意識したら、普通に暮らしていても味わいが違うのです!爆  笑

こういうストーリーと意味付けができるのがマインドのいいところだね!

特にイベントもない当たり前の毎日でも、あと数か月なんだと思うとその愛しいこと。


実際、毎日繰り返される平凡なことでも、頭が勝手に過去の記憶と結び付けてるだけで
本当は初めてこの時空間に現れた、そして二度と繰り返されることのない

かけがえのない一瞬なんですよね。
そう思ったら人生って愛しくないですか?照れ


さて、またこんな話に走りそうなのを今日はとどめて・・・
今年もエイブラハムのボルテックス・クルーズが近づいてきました!

去年発表された時点では、今回は寄港地が行ったことあるところがほとんどだし、
行かなくていいか…と思っていたのに、やっぱりエスターにも
世界各地から来る大勢のAber(エイブラハムの教えを実践する人達)にも
会いたくなっちゃって、衝動的に行くことに。

 

(今年のルートです。 バルセロナ-セート-トゥーロン(プロバンス)-ニース-

ローマ-ナポリ-マルタ島-ベネチア) 


おまけに、帰港するベネチアからレンタカー借りてそのまま
イタリア~オーストリア~ドイツ~リヒテンシュタイン~スイスと廻ることにして、
けっこうな冒険旅行になりそうでワクワクです!

あぁ~私本当に旅が好き。
プラン練ってgoogle streetでいつまでも遊んでいられます。

世界を知りたいというのは自分を知りたいというのと同じなんだな~。

私が体験している世界=わたし、だからね、それが拡大する喜び。
写真や動画じゃなくて情報場の世界がリアルに現れてその空気を体感する楽しさ!


というわけで、またまたこの時期に、ブログ再開してみます。

前回の記事の続きで、「すべてがある」という感覚、

いまここに発露しているいのちの豊かさについて書いてみたいと思います。

 

 

    

(写真は9月のクルーズ出港地バルセロナにある建設中のサグラダファミリア内部。

ガウディ本当に天才。窓のステンドグラスから入る光があまりにも綺麗だった!

これは一昨年撮ったもの。まだ地中海クルーズ参加者募集中です♪)

 

 

それは、この世界がどれほど過不足なく自動操縦になっているか!

ってことでもあるんだけど。


 

まったくいのちは勝手に起こっている!笑

 

一度も消えたこともなく足りなくなったこともなく

いまここいっぱいに満ち満ちて、

いつも全体と調和しながら自由に形を変えてみずからを表現している。

 

 

「自由」とはいえ、いのちの現れはあまりにも賢く、あまりにも愛で、

これでもか!というくらい溢れるほどに、人間のちっぽけな思考なんか

ずっと超えてあまりにも豊かで、よく見れば見るほど「すべてがある」としか思えない。

 

(そしてそれがいのちの源「ソースエネルギー」で

「大いなるすべて」で、「本当のわたし」だ~)


 

例えば。

 

今こうしていても勝手に呼吸が起きている。

 

意識していなくても横隔膜が勝手に動いて息を吸い込み、

肺がガス交換をやってくれて

新鮮な酸素が血液に取り込まれ、身体の細胞に届けられ

不要な二酸化炭素が吐く息と共に排出される。

 

心臓も、ひと時も休まず勝手に動いている。

 

全身に血液を送り出し、細胞に必要なものを届け

老廃物を回収してくれている。

 

消化器官だっていろんな器官が協力して勝手に働いている。

 

今日取り入れた食物を消化し、栄養を吸収して、

細胞全部に届けてくれている。

 

知らないうちに新陳代謝や修復が行われているし、

ほとんどコントロールすることなしに、全部自動的に起きている。

 

いのちは人間のマインドをはるかに超えた力で保たれ、

見えない力に支えられている。

 

(=このブログではこの力をいのちの源「ソースエネルギー」って呼ぶよ。

「源」とか「支えられてる」と表現しても分かれてるわけじゃなくて

私達も「これ」そのもので、これが宇宙を創ってるたった一つのエネルギーなの。)


 

そして、いのちを支えるのに必要な酸素や水や食物は、

ちゃんと地球にふんだんに備えられていて(=「もともとあって」)

なんと、循環式の自動供給システムになっている!

 

(酸素は植物が光合成で二酸化炭素と交換してくれるし、

水は蒸発して雲になり風に運ばれ、雨となって地上にまた来て

地面にしみ込んで濾過され地下水になってくれるし、

植物は食べた後ちゃんと種があって芽生え、また実りをもたらしてくれる。)

 

「ある」のシステムあまりにもうまくでき過ぎ!

 

人間が貪欲さでこのシステムのバランスを壊さない限り、

私達は息を吐いたら次の呼吸は入ってこないんじゃないかとか心配しないし

いのちを支える必要物の豊かさを疑わないんじゃないだろうか。


 

それから、↑この地球のシステムを支えている太陽の光も

ちゃんとちょうどいい強さと量で「ある」し、月も大気圏もあるし、

もっとよく見ていくと、単に「いのちを支える」(=ただ生きる)

だけじゃなくて、この地球という舞台は

美しい花々を含む植物やきれいな色の昆虫や

たくさんの種類の動物たちや山や海の多彩な風景や

さまざまな味の食べ物や、いのちを楽しむためのあらゆるもので満ちている。


 

私たちが生きる世界は「ある」で溢れている!としか言いようがない。

なんといういのちの輝き!なんというエネルギー!爆  笑

 

 

それに、

自然界だけじゃなくて、人間の創造である

あらゆる芸術作品や世界中の多彩な文化まで考えると、

一生かけても味わい尽くせないほど「ある」!

これが私たちが生きて活動している世界という舞台!

 

(もっと言うとこの「人間の創造」とは、

ソースエネルギーの表現、ソースエネルギー+人間の共同創造、

あちら側の可能性領域からこちら側の顕現に焦点化されて現れたもの、

あちら側の波動がこちら側に結晶化(量子物理学で言う「波→粒」)したもの、

…とも言える。

そんでもって「あちら側(空)」と「こちら側(色)」という区別もなくて同じものなの。

ノンデュアリティ的に言うと「ただ起きている」「全体性orいのちの現れ」ってなるんだけどね。

これしつこいけど、ベースになってるので何度も書くね。この色で)

 

 

その世界の美しさを、私たちは一生かけたとしてもどれだけ見られるんだろう。

そのほんの一部分を垣間見るだけで一生が終わっちゃうんじゃないかな?

 

 

ね?

「ない」というのは、私たちの思考・マインドが作り出した幻の感覚で、

実際にはどれほどのものがすでに与えられていることか。

 

なんという「準備の整った」世界に私たちは出現したんだろう。

もう今この時代を生きている人は、最高の喜びを生きるために

この時空間に現れたんだな~と思った方がいいよ!笑


 

もっと言うと、

世界は(私達それぞれが見、体験しているリアリティのすべては)

映画で言ったらスクリーンのような、まっさらな可能性の領域

(「空」「ゼロ・ポイント」)で、

そこにはどんなストーリーの映画でも、ありとあらゆる映画を

自由自在に映し出すことができるのです。

 

(でね、このスクリーンになにが映るかをコントロールはできないと

いう人もいるけど、三次元の時空間では、一人にひとつのスクリーンがあって

そこにうつる映画は「自分の反映」というストーリーなのですよね。

 

なので例え物理的には一緒の場所で一緒になにかを体験したとしても

みんながみんな別々の世界観の映画を見ちゃってるのです。

 

「ストーリーが無い」を生きることもできるけど、人間として生きている限り

スクリーン(本当のわたし)の上にはなにかしらが映し出されています。

 

映されているものは(時間も空間もすべて)幻想だし

もっと言ったらひとつのコマから次のコマへの連続性も本当は無いんだけどね

でも物理次元では個人の連続的なリアリティとして体験しています。

映画の中に入っちゃってその世界を体験するという見方をする世界だからね。

 

なのでからくりがわかって腑に落ちちゃったら、もう安心して

好きなストーリーを楽しむってこともありなんだと思っています。

それが「現実創造」ってことなんですね。

 

ただ、あくまでも自分で創ってる(=マインドやエゴで世界をコントロールしている)

んじゃなくて、今日書いたように、すごく賢くて無条件の愛そのものの

「自動操縦」でソースエネルギーがやってるんだけどね!笑

 

それでもソースエネルギーはこの世界には私達という「現象」を通して現れるし

そもそも私たちもソースエネルギーそのもので分離してないので

それを「共同創造」って表現してるのです。)

 

 

追記:

 

どこかに「真理」があると思って探してるとしたら。

 

それが「悟り」であろうと「ノンデュアリティ(非二元)」であろうと

「宇宙の法則」や「引き寄せ」や「成功法則」やその他のスピリチュアリティであろうと、

どこかに「真理」があるのではなくて、自分のこころがすでに知っています。

 

だから、こころに響くことに導かれていけば

(=「本当の自分」と波動が同調する在り方でいれば)大丈夫。

 

なんでかっていうとあなたが真理だから。

あなたの世界は隅から隅まであなたでできているから。

 

この時空間を物質の人間として生きる時、「フィルター」とか

「ストーリー」と言われることさえ必要だとも言えるの。どんなに自由になっても。

でないと目の前の風景は意味のない色の繋がりになってバラけるからね。

 

(バシャールはその働きをする「エゴ」をダイビングの際の水中メガネに例えていた。

物理次元を生きるために必要な装備だというわけ。)

 

ただ、もう以前の、いつの間にか無意識に装着させられてた「フィルター」や

好きじゃないのに抜けられない「ストーリー」じゃなくて、

どんなのでも自由に選べるの、そこに自由があるの。

 

でも「選ぶ」と言ってもコントロールは手放していて、

ただ見たいものにフォーカスをするだけ、になるの。

(「doing」じゃなくて「being」て感じ)

 

私の感覚だとパパとそり遊びしていて私が指さす方にパパが連れてってくれる感じ。笑

(あとは移り変わる景色と生き生きした感覚を楽しむだけ~)

 

「ストーリー」から解放されている自由を楽しむのもいいし

好きなストーリーを見る自由を楽しむのもいい。

 

そしてなんと!ソースエネルギーはあまりにも「無条件」の愛なので、

どっちに感じててもいいよ~好きな方で。って言ってくれてるの!

 

さっきのそり遊びの例えで言うと、「こっち!」「今度はこっち~」っていう

子供の側の楽しさを味わわせてくれてるんだな。笑

 

ホントはパパが運転全部やってくれてるんだけどね。

パパは子供よりずっと視野が広いから、思いがけないルートを通ったり

思いがけない景色を見せてくれたりもする。それがまた楽しいんだ。

 

それを表現してみたいな~と思ってるブログなわけです。はい。)