前回の記事の続きで、「すべてがある」という感覚、
いまここに発露しているいのちの豊かさについて書いてみたいと思います。
(写真は9月のクルーズ出港地バルセロナにある建設中のサグラダファミリア内部。
ガウディ本当に天才。窓のステンドグラスから入る光があまりにも綺麗だった!
これは一昨年撮ったもの。まだ地中海クルーズ参加者募集中です♪)
それは、この世界がどれほど過不足なく自動操縦になっているか!
ってことでもあるんだけど。
まったくいのちは勝手に起こっている!笑
一度も消えたこともなく足りなくなったこともなく
いまここいっぱいに満ち満ちて、
いつも全体と調和しながら自由に形を変えてみずからを表現している。
「自由」とはいえ、いのちの現れはあまりにも賢く、あまりにも愛で、
これでもか!というくらい溢れるほどに、人間のちっぽけな思考なんか
ずっと超えてあまりにも豊かで、よく見れば見るほど「すべてがある」としか思えない。
(そしてそれがいのちの源「ソースエネルギー」で
「大いなるすべて」で、「本当のわたし」だ~)
例えば。
今こうしていても勝手に呼吸が起きている。
意識していなくても横隔膜が勝手に動いて息を吸い込み、
肺がガス交換をやってくれて
新鮮な酸素が血液に取り込まれ、身体の細胞に届けられ
不要な二酸化炭素が吐く息と共に排出される。
心臓も、ひと時も休まず勝手に動いている。
全身に血液を送り出し、細胞に必要なものを届け
老廃物を回収してくれている。
消化器官だっていろんな器官が協力して勝手に働いている。
今日取り入れた食物を消化し、栄養を吸収して、
細胞全部に届けてくれている。
知らないうちに新陳代謝や修復が行われているし、
ほとんどコントロールすることなしに、全部自動的に起きている。
いのちは人間のマインドをはるかに超えた力で保たれ、
見えない力に支えられている。
(=このブログではこの力をいのちの源「ソースエネルギー」って呼ぶよ。
「源」とか「支えられてる」と表現しても分かれてるわけじゃなくて
私達も「これ」そのもので、これが宇宙を創ってるたった一つのエネルギーなの。)
そして、いのちを支えるのに必要な酸素や水や食物は、
ちゃんと地球にふんだんに備えられていて(=「もともとあって」)
なんと、循環式の自動供給システムになっている!
(酸素は植物が光合成で二酸化炭素と交換してくれるし、
水は蒸発して雲になり風に運ばれ、雨となって地上にまた来て
地面にしみ込んで濾過され地下水になってくれるし、
植物は食べた後ちゃんと種があって芽生え、また実りをもたらしてくれる。)
「ある」のシステムあまりにもうまくでき過ぎ!
人間が貪欲さでこのシステムのバランスを壊さない限り、
私達は息を吐いたら次の呼吸は入ってこないんじゃないかとか心配しないし
いのちを支える必要物の豊かさを疑わないんじゃないだろうか。
それから、↑この地球のシステムを支えている太陽の光も
ちゃんとちょうどいい強さと量で「ある」し、月も大気圏もあるし、
もっとよく見ていくと、単に「いのちを支える」(=ただ生きる)
だけじゃなくて、この地球という舞台は
美しい花々を含む植物やきれいな色の昆虫や
たくさんの種類の動物たちや山や海の多彩な風景や
さまざまな味の食べ物や、いのちを楽しむためのあらゆるもので満ちている。
私たちが生きる世界は「ある」で溢れている!としか言いようがない。
なんといういのちの輝き!なんというエネルギー!![]()
それに、
自然界だけじゃなくて、人間の創造である
あらゆる芸術作品や世界中の多彩な文化まで考えると、
一生かけても味わい尽くせないほど「ある」!
これが私たちが生きて活動している世界という舞台!
(もっと言うとこの「人間の創造」とは、
ソースエネルギーの表現、ソースエネルギー+人間の共同創造、
あちら側の可能性領域からこちら側の顕現に焦点化されて現れたもの、
あちら側の波動がこちら側に結晶化(量子物理学で言う「波→粒」)したもの、
…とも言える。
そんでもって「あちら側(空)」と「こちら側(色)」という区別もなくて同じものなの。
ノンデュアリティ的に言うと「ただ起きている」「全体性orいのちの現れ」ってなるんだけどね。
これしつこいけど、ベースになってるので何度も書くね。この色で)
その世界の美しさを、私たちは一生かけたとしてもどれだけ見られるんだろう。
そのほんの一部分を垣間見るだけで一生が終わっちゃうんじゃないかな?
ね?
「ない」というのは、私たちの思考・マインドが作り出した幻の感覚で、
実際にはどれほどのものがすでに与えられていることか。
なんという「準備の整った」世界に私たちは出現したんだろう。
もう今この時代を生きている人は、最高の喜びを生きるために
この時空間に現れたんだな~と思った方がいいよ!笑
もっと言うと、
世界は(私達それぞれが見、体験しているリアリティのすべては)
映画で言ったらスクリーンのような、まっさらな可能性の領域
(「空」「ゼロ・ポイント」)で、
そこにはどんなストーリーの映画でも、ありとあらゆる映画を
自由自在に映し出すことができるのです。
(でね、このスクリーンになにが映るかをコントロールはできないと
いう人もいるけど、三次元の時空間では、一人にひとつのスクリーンがあって
そこにうつる映画は「自分の反映」というストーリーなのですよね。
なので例え物理的には一緒の場所で一緒になにかを体験したとしても
みんながみんな別々の世界観の映画を見ちゃってるのです。
「ストーリーが無い」を生きることもできるけど、人間として生きている限り
スクリーン(本当のわたし)の上にはなにかしらが映し出されています。
映されているものは(時間も空間もすべて)幻想だし
もっと言ったらひとつのコマから次のコマへの連続性も本当は無いんだけどね
でも物理次元では個人の連続的なリアリティとして体験しています。
映画の中に入っちゃってその世界を体験するという見方をする世界だからね。
なのでからくりがわかって腑に落ちちゃったら、もう安心して
好きなストーリーを楽しむってこともありなんだと思っています。
それが「現実創造」ってことなんですね。
ただ、あくまでも自分で創ってる(=マインドやエゴで世界をコントロールしている)
んじゃなくて、今日書いたように、すごく賢くて無条件の愛そのものの
「自動操縦」でソースエネルギーがやってるんだけどね!笑
それでもソースエネルギーはこの世界には私達という「現象」を通して現れるし
そもそも私たちもソースエネルギーそのもので分離してないので
それを「共同創造」って表現してるのです。)
追記:
どこかに「真理」があると思って探してるとしたら。
それが「悟り」であろうと「ノンデュアリティ(非二元)」であろうと
「宇宙の法則」や「引き寄せ」や「成功法則」やその他のスピリチュアリティであろうと、
どこかに「真理」があるのではなくて、自分のこころがすでに知っています。
だから、こころに響くことに導かれていけば
(=「本当の自分」と波動が同調する在り方でいれば)大丈夫。
なんでかっていうとあなたが真理だから。
あなたの世界は隅から隅まであなたでできているから。
この時空間を物質の人間として生きる時、「フィルター」とか
「ストーリー」と言われることさえ必要だとも言えるの。どんなに自由になっても。
でないと目の前の風景は意味のない色の繋がりになってバラけるからね。
(バシャールはその働きをする「エゴ」をダイビングの際の水中メガネに例えていた。
物理次元を生きるために必要な装備だというわけ。)
ただ、もう以前の、いつの間にか無意識に装着させられてた「フィルター」や
好きじゃないのに抜けられない「ストーリー」じゃなくて、
どんなのでも自由に選べるの、そこに自由があるの。
でも「選ぶ」と言ってもコントロールは手放していて、
ただ見たいものにフォーカスをするだけ、になるの。
(「doing」じゃなくて「being」て感じ)
私の感覚だとパパとそり遊びしていて私が指さす方にパパが連れてってくれる感じ。笑
(あとは移り変わる景色と生き生きした感覚を楽しむだけ~)
「ストーリー」から解放されている自由を楽しむのもいいし
好きなストーリーを見る自由を楽しむのもいい。
そしてなんと!ソースエネルギーはあまりにも「無条件」の愛なので、
どっちに感じててもいいよ~好きな方で。って言ってくれてるの!
さっきのそり遊びの例えで言うと、「こっち!」「今度はこっち~」っていう
子供の側の楽しさを味わわせてくれてるんだな。笑
ホントはパパが運転全部やってくれてるんだけどね。
パパは子供よりずっと視野が広いから、思いがけないルートを通ったり
思いがけない景色を見せてくれたりもする。それがまた楽しいんだ。
それを表現してみたいな~と思ってるブログなわけです。はい。)

