癒しの万華鏡と"もっと素敵にパステルアート!"~HeART GARDEN福岡~の麻生君枝です。
今日はペシャワール会の中村哲さんのお別れ会に参加してきました。
中村哲さんがアフガニスタンで凶弾に倒れたのは昨年の12月4日。
お別れ会の会場は西南学院大学のチャペルです。
会場へ並ぶ人の列は長く、チャペルはすぐに満席、そのほかに大学の講義室11室を使い、そこで映像でチャペルの様子を見るようになっていました。
ただ、その部屋内にも立ってみる方が多く、話に聞くとお部屋にも入れなかった方もいるとか…。
軽く3000人以上が中村さんへのお別れに参加していただろうと思います。
2001年、アメリカの同時多発テロが起き、タリバン政権への報復としてアフガニスタンは空爆されました。
私はその頃、平和活動をしていました。
それ以前に広島長崎の被爆体験の聞き書きをしていたことから、近代史の流れや憲法の話などをよく聞いたり、市民運動にも参加していました。いまでも戦争を放棄するという憲法9条は日本の宝だと思っています。
しかしさまざまな事が起きて、日本の自衛隊も軍隊というかたちで物資を運び、あの戦争には間接的に加担したのです。
その当時、中村哲さんが日本は自衛隊を派兵すべきではない、憲法をまもるべきだと強い説得力を持って発言されていたことを覚えています。当時、アフガニスタンにいたからこそ見えていたさまざまな事もあったと思いますが、だいいちアフガニスタンの国民にとっては当時は大干ばつで、戦争どころではなかったはずなのです。
そこへ水路を作り、農業を復活させ、難民を自国へ戻す尊い事業を始めた中村哲さん。
医者でありながら井戸を掘り、水路を作っていったのです。
育った場所が私の故郷・北九州の若松だということもあり、「川筋気質(困っている人をほっておけない)」なのだろうと想像して、勝手に親しみを感じていました。お会いしたことはありませんが、二度ほど講演会には参加させていただきました。
本当に惜しい方を亡くしました。神様のような方です。
中村さんと共に、運転手など5名の方の遺影も飾られていました。
献花台に、中村さんのお好きなバラの花を供えさせていただきました。
献花を済ませ、帰るころには涙のような雨が降っていました。
今後も中村さんの遺志を引き継ぎ、ペシャワール会の活動はアフガニスタンで続けていかれるそうです。
私にはなにもできませんが、継続的な支援はさせていただこうと思っています。
私は同じ北九州つながりで、スーダンで医療活動をされているロシナンテスにも継続的な支援をさせていただいています。こちらの川原尚行さんも頑張られています。震災後の仙台でも寺子屋事業をされていて、私も滞在しパステルをさせてもらったご縁もあります。
世界中の子どもたちが笑顔になる、そんな時代が来ることを心から願っています。



