先日、テレビで拒食症の女性の話があっていた。
この女性は幼い頃から、母親に「大きくならなくていいのよ」と言われ
小さい服を着せられ、8歳までおむつをさせられていた。
また、陽に当たらないように自宅に軟禁されていた。
(テレビのアナウンサーが「子どもは太陽に当たると健康に育ちます」と言っていたため)
交流分析の中の「禁止令」というものの一つに
「成長するな」というものがある。
禁止令とは子どもが親に愛され養育されるために
心の中に幼児決断としてプログラミングしたものである。
他にも「存在するな」「成功するな」「子どもであるな」
「自分自身であるな」「重要であるな」「自分の性であるな」
「所属するな」「感じるな」「健康であるな」「近づくな」「考えるな」
と、12種類ほどある。
「存在するな」は中でも子どもにとって一番きつい禁止令で、
「自分は生きていてはいけない」という無価値感を植え付ける。
「お前なんか生むんじゃなかった」
「お前さえいなければ」などと、
もし子どもが親から言われていたら、
この禁止令が組み込まれる可能性がある。
さて拒食症の女性は親からのメッセージを組み込み
「成長するな」という禁止令をプログラミングした。
(そのほかにもあるかもしれないが)
そして成長しないためには
食事をしないほうがいいと決めたのである。
あるいは別の拒食症のケースでは
「太った私は醜い」と、条件付きの許可≒痩せた
私なら生きる価値があるを自分に与え、
そのために飲食を拒否することもあるだろう。
上記の彼女が、命に差し障りがあるほどの「拒食」を
なぜ心に刻んだかというと、それは子どもが「親に
愛されるために」行ったと思われる。
そしてそれは大人になって「食事はしたほうがいい」と
頭では分かっていても、いまだ食事への嫌悪が
ぬぐいきれないほど恐ろしく根深いものである。
(幼い時期の親からの"刷り込み"を”魔女の呪い”だと
言った心理学者もいたようだ)
不完全な状態で生まれてくる人間の子どもは、
親の加護がないと生きていけない。
だから親に気に入られるように、自分がどう振る舞い、
どう選択すればいいかを学びながら成長するのだ。
それはある意味では自分のために行う「自己愛」で
あるといえる。
だが反面、自己愛だけに生きるのではなく、
無垢な子どもは親がどんな親でも愛する。
それは無償の愛ともいえる。
子どもは決して、大人のミニチュアではない。
大人は世の常識と経験を子どもに当てはめようと
するが、ミニチュアではない子どもには
「大人の事情」や「大人の裏の心」は理解できない。
自己愛と無償の愛を同時にもつ「愛」の塊には
子どもの健康な成長を願うための
愛の言葉を与えることがふさわしい。
育児とは、日々が精神的誕生の連続なのだ。
身体的誕生のあとに、精神的な誕生を年月を
かけて行う経験の積み重ねなのだ。
養育者が愛の言葉と態度で接すれば、
不健康な大人にはならない。
…と、子育てが終わりかけの今、
反省している私である(笑)。
全ての子どもが笑顔で育てば、
世界は光り輝く。
それは間違いない。