外科の先生が手術の説明で、母にガンの告知をし、

「手術をして悪いところを取ってしまいましょうね。

長生き、したいでしょう?」


と母に尋ねました。


母は笑いながら、「はい」と答えました。


その時の私の頭の中に複雑な意識が走りました。


「長生きするんかい!」という"感情"とは違うんです。


   -2so申02h2&#'I3Dx '-JC表暴P?B?箪GyRJ8Qg………

   ( ̄Д ̄;;┏(_□_:)┓iii( ゚ ρ ゚ )ボーーーー


頭の中が文字化けしたような意識…。


  ははーん。これってもしや?


私の書いた人生脚本と違うことが行われてる?


父が肺ガンを患った時、私は10歳でした。

35年も前のことなのでガンの治療法も確立されてなく、

モルヒネなどの鎮痛剤もありませんでした。

だいいち、父は末期ガンにもかかわらず

結核病棟に入院しており、ガンの治療が

なされたのかどうかも疑問なのです。


結核病棟だったので、10歳だった私はほとんどお見舞いに

いけませんでしたが、一度訪ねて行った時、

父はナースコールのコードを首に巻いて

死のうとしていました。


半端な苦しさではなかったと思います。


10ヶ月の闘病の末、父は他界しましたが

臨終の際、たまたま私は病院を訪れていました。


慌ただしくなった病室、心臓マッサージ、

電気ショック…


それらの恐ろしい記憶を私は封印し、代わりに

「人は簡単に死んじゃうんだ」

サラサラと脚本を書きました(←イメージです)。


母もいつか死ぬかもしれない。


そうね、でも大丈夫。


私は大丈夫、一人でも。


一人でも生きていける。


繰り返すようにそう思い続けていた記憶が、私にはあります。


だから父と同じガンという病気になった母をみて

自分の人生脚本が現実化されそうでされないことに

違和感を感じたのかもしれません。


母が死んでも一人で大丈夫という人生脚本を、

私は間違いなく書いています。


  でも間違っていたら、正せばいい。


  気づけば、手放すことだってできる。


人は一人じゃ、生きていけないよ。


今の私なら、分かるんだよ。


インナーチャイルドに教えてあげなきゃね。