--- 前日の話から続く
そして私は母に伝えました。
母をリハビリの病院に連れて行った帰り、うちの庭にて。
「あのね、一度言っておこうと思ってたんだけど。
今まで母一人子一人で育ててくれて感謝してる。
病院もその恩返しと思って連れて行くからなにも心配しないで。
なにも心配せずに、長生きしてね」
おおまかに言うと、このようなことを伝えました。
少し、涙ぐんでしまいました。
母はしかめっ面ながらも、一度私の顔を見て
そして言いました。
「○○ちゃんに悪いでから」
○○ちゃんは、私の夫の名前です。
相変わらず、「え?ここでその台詞?」的なフェイント対応。
夫が建てた家に住んでいるからかな?と
混乱させられますが、「どういうところが?」と
A(Adult)の視点で問いかけました。
でも、答えはありませんでした。
母はあくまでも客体の視点です。
会話をしていても、そこで交わされる言葉には
母の感情や私の感情が主体的に話されません。
これはまるでサイレントハラッサーです。
詳しくは「あなたの子どもを加害者にしないために」のサイト へ。
これを読むと、とっても思い当たる節があります。
そして思いました。
あぁ、私はいままでよく生きてきた。
母の行動の子守をしてきたのはきつかったろう。
母と親類の数回の仲違いの仲介になり傷ついたこともあった。
母が20年ほど前、再婚に失敗した時の両家の取り持ちは大変だった。
人から「守られる」という感覚を得ないまま、
よく母を守ろうとしたものだ。
もう、そんなに尽くさなくてもよいのだ。
(もちろん、老後の面倒をみない、とかそういう意味でなく)
静かに、そう思った。
気づきは遅かったけれど、それでもそこから
傷だらけの膝を抱え、左右を確認しながら立ち上がり
進んでは戻り、戻っては進んだ。
そんな自分をそっと抱きしめてあげたい日でした。
感謝の言葉は「私が」言いたかった、ただそれだけのこと。
期待通りの反応がかえってこなかったから状況は変わらない、
とか、そんな問題ではない。
変われたのは、わたし。
最後まで読んでくださってありがとう。